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アフリカ分割 アフリカぶんかつPartition of Africa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アフリカ分割
アフリカぶんかつ
Partition of Africa

近代ヨーロッパ諸列強のアフリカ大陸に対する進出と植民地化をいう。1870年代のいわゆる帝国主義時代の幕開けは,科学技術の発達や医学の進歩と相まって,新たな原料供給地や商品・労働市場としてのアフリカに,列強の大きな関心を集めることとなった。19世紀末までのほぼ 25年間のうちに,東はエチオピア,西はリベリアが独立国として残ったほかは,アフリカ大陸のほとんどすべてが列強の植民地として分割された。トルコの属領であったエジプトには 1830年頃からフランスの影響力が強まり,1859年にはフランス人フェルディナン=マリー・レセプスによってスエズ運河が起工され,10年後に完成したが,イギリスが 1875年にその株の大部分を手に入れ,先住民の反乱に乗じて 1882年事実上エジプトを統治下に収めた。さらにイギリスは,ダイヤモンド鉱や金鉱の発見でにわかに注目されるようになった南アフリカを,ボーア人との 3年にわたる戦争(→南アフリカ戦争)ののち征服,1910年には南アフリカ連邦を発足させた。こうしてエジプト,南アフリカという最も枢要の地を押さえたイギリスがカイロとケープタウンを結ぶアフリカ縦断鉄道を計画,これに対しおくれをとったフランスがアフリカ横断鉄道を計画したため,1898年には両勢力が衝突してファショダ事件が起こった。ほかにも列強間の衝突があったが,1885年のコンゴ盆地条約,1906年の東北アフリカ分割に関する英仏伊協定などにみられたように,おおむね係争諸国間の政治的話し合いによって分割が進められた。ドイツは 1871年の国内統一ののち 1880年代に入って植民地政策に乗り出し,東アフリカ,カメルーン,トーゴランドなどを領有した。また,同じく国内統一を終えたイタリアは,しきりにエチオピアをねらったが,遠征軍が大敗して失敗,わずかにソマリランドとエリトリアを領有した。このようにしてヨーロッパ列強によるアフリカの分割が完了すると,植民地獲得競争という緩衝弁が失われ,帝国主義諸国間のむき出しの対立からしだいに第1次世界大戦へと進んでいった。

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百科事典マイペディアの解説

アフリカ分割【アフリカぶんかつ】

19世紀末から20世紀初めに展開された,ヨーロッパ列強の大規模なアフリカ進出と全面的な植民地化の過程。それを加速したのがベルリン会議(1884年―1885年)であり,それから20年足らずの間に,リベリア,エチオピアを除く全アフリカがヨーロッパ列強によって分割された。
→関連項目アフリカファショダ事件

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世界大百科事典内のアフリカ分割の言及

【植民地】より

…いまや支配的中心部は,イギリスのみならず,ドイツ,フランス,アメリカ,ベルギー,イタリア,および日本によって構成されるようになった。 植民地拡大の急速化の一例は,アフリカ分割である。1880年以前のアフリカにおける植民地領有はごくわずかで,しかも沿岸部にかぎられていた。…

※「アフリカ分割」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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