イギリスの政治家、外交官。中国名阿美士徳(あみしとく)。1814年東インド会社の対インド貿易独占権が廃止されると、広東(カントン)貿易拡大を図る会社の意向を受け、イギリス政府は1816年全権大使アマーストを中国に派遣した。彼は広東、天津(てんしん)を経て1816年8月29日北京(ペキン)の円明園(えんめいえん)に至るが、叩頭(こうとう)(三跪(き)九叩頭)の礼を拒否したため即日退去させられた。以降、清(しん)朝によるアヘン禁圧の強化、東インド会社と地方貿易商人との角逐が進行する。彼は、1823年ヘースティングズを継いでインド総督に任命され、1824~1826年のイギリス・ビルマ戦争に勝利し、アラカンの割譲、アッサムに対するビルマの権利放棄などを約し、東部ベンガルを安定させ、ビルマへの影響力拡大の足場を築いた。1824年インド北部ジャート国の王位継承紛争に際し、軍隊を派遣して幼主を援護した。これらの治績によって伯爵位Earlを授与されたが、1828年に健康を害し辞任、帰国。1835年ピール内閣からカナダ総督に任ぜられたが、直後の内閣交代で辞任し、政界からも引退した。
[浜下武志]
アメリカ合衆国マサチューセッツ州西部の大学町。人口3万3209(1980)。コネティカット河谷の肥沃な農業地帯の中に位置し,マサチューセッツ大学とアマースト大学がある。詩人エミリー・ディッキンソンはこの町で生まれ,生涯をここで過ごした。また,詩人ロバート・フロスト,辞書編集者ノア・ウェブスターもこの町に住んでいた。町名はフレンチ・インディアン戦争時の北アメリカ軍総司令官ジェフリー・アマーストにちなむ。1759年に町となった。
執筆者:菅野 峰明
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1773~1857
イギリスの外交官。1816年イギリス第2回の使節として清国に派遣され,北京におもむいたが,謁見を許されず帰国した。のち駐ロシア大使,東西インド各地の総督を歴任。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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