アリウス派(読み)アリウスは(英語表記)Arianism

翻訳|Arianism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アリウス派
アリウスは
Arianism

アレクサンドリアの司祭アリウスが唱えた異端説を奉じる一派。アリウスは三位一体説において,子は世界創造以前に父からみずからの存在を直接に受けている点で他の被造物と異なっているが,なお神とは異質であり,他の被造物と同じく無より造られたと説いた。アレクサンドリア地方会議 (321) ,ニカイア公会議 (325) でこの説は排斥され,アリウスは追放された。この間ニコメディアのエウセビオスが援助。コンスタンチウス2世 (在位 337~361) はアリウス派に加担して反アリウスの急先鋒アタナシウスを追放し,正統派を迫害した。同帝のもとでアリウス派の勢力は伸長したが,やがて次の3派に分れて抗争するにいたった。 (1) 過激派アノモイオス説 エウノミウスなど。 (2) 折衷派 アカキウスなど。ニカイア公会議の決定に近い。 (3) 反アリウス派 ホモウシオス説。バシリウスなど。しかしアリウス派は,テオドシウス1世 (在位 379~395) 以後勢力を失った。

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百科事典マイペディアの解説

アリウス派【アリウスは】

アレクサンドリアの聖職者アリウスArius〔250ころ-336ころ〕(ギリシア名アレイオス)の教説,またはその信奉者。アリウスは,父なる神と子なるキリストは〈異質的(ヘテロウシオス)〉だとする説を立て,一時は東方全域に支持者を得たが,325年ニカエア公会議で弾劾された。アリウスの死後は3派に分裂,なお勢力を保ち,ゴート人にも伝わったが,アタナシオスらの正統派に押されて消滅した。

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世界大百科事典内のアリウス派の言及

【アタナシオス】より

アリウス派と終生戦い,ニカエア信条を守ったアレクサンドリア主教(328‐373)。若くしてアレクサンドリア主教アレクサンドロスの秘書となり,ニカエア公会議に参加。…

【異端】より

…ヨーロッパにおいて,異端が問題となるのは,歴史的には,キリスト教の確立以降である。排他性のつよい一神教であるキリスト教にあっては,すでに2世紀から異端問題が発生し,とりわけ4世紀にキリストの属性をめぐる論争において,アリウス派,ネストリウス派などの異端が生まれた。ギリシア正教においても異端が生まれたが,ローマ・カトリック教会ではその後,中世11~15世紀にワルド派カタリ派をはじめとする多数の異端運動が起こり,キリスト教会を動揺させた。…

【キュリロス[エルサレムの]】より

…4世紀後半に複雑な様相を呈したアリウス派論争の終結に尽力したエルサレム主教。エルサレムは伝統的にニカエア派の主教座であったが,キュリロスはアリウス派のカエサレア主教アカキオスに推されて主教になった(349ころ)。…

【クリスマス】より

…初期の東方教会の人々は公現祭をキリスト受洗の日,その神性顕示の日として祝った。彼らはアリウス派の人々で,イエスの受洗を重視し,降誕には意味を認めない人々であった。降誕のときからイエスの神性を信じる正統派キリスト教徒は彼らを異端と考えた。…

【三位一体】より

…2世紀以後の教会で三位一体がはげしく論じ合われたが,その理由の一つはこれをギリシア哲学の論理で説明することの困難にあり,いま一つは信仰内容そのものの把握の困難にあった。アリウス派は神の唯一性を強調してキリストを被造物とし,他方サベリウス派は三位の区別を優先させて一体性を後回しにした。多くの教父と第1ニカエア公会議(325)は〈一実体,三位格una substantia,tres personae〉の定式をもって三位一体を固守したが,三位の統一を宇宙の循環運動になぞらえるとか,三位の成立と働きを神の摂理に帰する以上には出ないということがあった。…

【東ゴート王国】より

…ゴート人が定住した都市ではローマ人街区と新来のゴート人街区が区別される傾向があった。これはゴート人とローマ人の宗教の違いとも関連しており,前者はアリウス派,後者はカトリックで,少数派であったゴート人がアリウス派教会を核として定住したという事情も関係している。 テオドリック大王の対外政策は,とりわけ部族国家間の融和を図るための婚姻政策によって知られる。…

【ブルグント王国】より

…そのうえ国王の側近や役人としてローマ人貴族も登用されている。さらに宗教面においても,ブルグント人は相変わらずアリウス派を信仰し続けていたが,グンドバート王はローマ人のカトリック信仰に対して寛容政策を実施し,ウィエンヌ(ビエンヌ)司教アウィトゥスと友好関係を保っていた。グンドバートの息子シギスムントSigismund王(在位515‐523)はカトリックに改宗するが,この改宗はむしろ,アリウス派ブルグント人の離反,次王グンディマルGundimar(在位524‐534)のアリウス派への復帰とカトリック聖職者の動揺と離反といった混乱を王国内に引き起こして,534年のメロビング朝王権の介入によるブルグント王国の滅亡を招くことになった。…

【ポーランド兄弟団】より

…宗教改革の結果ポーランドに生まれた改革派の一つ。過激な一派として知られ,アリウス派と呼ばれた。元来カルバン派の系統であるが,1562‐65年の教会会議でカルバン派から分かれた。…

【リミニ】より

…前268年,ローマ人は先住民のウンブロ・エトルリア人を征服し,リミニに植民地を建設した。ローマ教会とアリウス派とのあいだに聖体論争がもちあがり,359年,リミニで宗教会議が開かれた。4世紀ゴート族に征服されたが,538年,東ローマ帝国はこれを奪回した。…

【レカーレド】より

…在位586‐601年。父レオウィギルド王の半島統一政策を助け,この間の体験から即位の翌年アリウス派からカトリックに改宗,さらに2年後の589年には第3回トレド会議を開いて,西ゴート王国のカトリック改宗を宣言した。これに対してアリウス派の反乱はあったものの,容易に平定された。…

※「アリウス派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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