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アンファンタン アンファンタンEnfantin, Barthélemy-Prosper

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンファンタン
Enfantin, Barthélemy-Prosper

[生]1796.2.8. パリ
[没]1864.9.1. パリ
フランスの社会主義者。空想的社会主義者サン=シモンの後継者として同派を主導。強力な国家権力による能力主義と権威主義に基づく社会的宗教的改革を主張し,キリスト教とイスラム教混合の社会宗教を唱えた。サン=シモン主義者らとメニルモンタンにおいて禁欲的共同生活を営み,教父と呼ばれた。アルジェリアとエジプトに実践の場を求めたが多くは失敗し分裂した。主著『サン=シモンの学説』 Doctrine de Saint-Simon (1829) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

アンファンタン【Barthélemy‐Prosper Enfantin】

1796‐1864
フランスの実業家。銀行家の子。1829年,バザールとともにサン・シモン派最高指導者(Père,教父の意)となったが,〈自由恋愛〉の聖化などでバザールと対立,その脱退を招いた。その活動は神秘的・宗教的色彩を強めたが,婚姻制度の批判等の女性解放思想が当時の女性解放運動の発展に与えた影響は見逃せない。32年,非合法集会を理由に懲役刑。翌年,新たな活動の地を求めエジプトに向かう。40‐41年,アルジェリア調査に参加。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アンファンタン
あんふぁんたん
Barthlemy Prosper Enfantin
(1796―1864)

フランスの社会理論家、実業家。2月8日、銀行家の子としてパリに生まれる。理工科大学卒業後、1823年に師のサン・シモンを知り、師の死(1825)後バザールSaint-Amand Bazard(1791―1832)とともにサン・シモン主義の普及に指導的役割を果たした。彼はサン・シモン主義者を位階的構成をもつ教団に組織して、バザールとともにその最高教父となり、パリ市中での宣教活動や機関誌『地球』などによって信者を増やしていった。しかし、彼の急進的な女性解放論に反対するバザールらは、まもなく教団から脱退した。1832年集会条令違反のかどで禁錮(きんこ)刑を宣告されたが、翌1833年出獄。以後、彼の活動は産業社会の確立というサン・シモン思想の実現に集中され、スエズ運河建設のために国際的な研究組織を設立するなど一貫して努力した。またパリ―マルセイユ間の鉄道会社の重役として鉄道建設と会社の合併を推進した。著書に、バザールらと行った講演集のほか『アルジェリア植民論』(1843)などがある。1864年8月31日没。[服部春彦]

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