スウェーデン南西部,カテガット海峡のイェータ河口両岸に位置する同国第2の都市。イェーテボリ・ボーヒュス県の県都。人口46万2470(1999)。1619年グスタブ・アドルフによって市の基礎が築かれ,当時はスウェーデン西海岸で唯一の港であった。西方に開かれた位置にあるため,その後はイギリスへ鉄鉱石を輸出したり,東インド会社の本拠(1731-1814)が置かれたりして,スウェーデンの西欧貿易の中心地としての地位を確保。市の中心街にはグスタブ・アドルフ広場を中心に古い建造物が立ち並び,オランダ風の運河など17世紀の都市景観をのこしている。18世紀に繁栄期を迎え,19世紀には同市を基点とするトロルヘッテ運河,イェータ運河を経てバルト海とも結ばれ,また鉄道・道路網等の交通の要所として,19世紀末には近代的都市に成長した。現在,スカンジナビア屈指の造船業のほか,ボールベアリング,自動車工業など重工業を中心としたスウェーデン第2の工業都市であり,世界に知られた自動車会社ボルボVolvoの本社がある。
執筆者:村井 誠人
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…知事をともなう州制度,日用品への間接税などはもとより不評であり,また国庫の充実を直接目的とした商工業振興策や都市・ギルド政策は全体として成功したとはいえない。ただルイ・ド・ジェールLouis de Geerをはじめとする数百家族のワロン人招致による都市イェーテボリの振興(建設は父カール9世)と製鉄業,銅山業の発展とは大きな成果を見た。【熊野 聰】。…
…また,同条約はスウェーデンにブレーメンも与えたので,ユトランド半島南部を横断する交通路がスウェーデンのものとなった。現スウェーデンの南・西部は元来デンマークの一部であったが,西海岸に橋頭堡としてイェーテボリの砦が築かれ(1607),グスタブ2世アドルフがこれを港湾都市として発展させた。さらに,カール10世はデンマークと戦い全海岸線を獲得(ロスキレの和約。…
※「イェーテボリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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