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イスファハーン イスファハーンEşfahān

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デジタル大辞泉の解説

イスファハーン(Eşfahān)

イラン中部、イスファハーン州の都市。同州の州都。前6世紀、アケメネス朝ペルシア帝国のころ建設。16世紀末、サファビー朝アッバース1世により首都に定められ、都市計画に基づきイマーム広場を中心に多くのイスラム寺院や宮殿が建造された。イスラム建築の宝庫、また伝統工芸の中心地として知られる。人口、行政区160万(2006)。エスファハーン

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百科事典マイペディアの解説

イスファハーン

イラン西部のオアシス都市。エスファハーンとも。古名はアスパダナ。穀物,ケシ,綿花,タバコを産し,織物(ペルシアじゅうたん)は有名。アッシリア帝国にさかのぼる古都で,ササン朝などを経て7世紀にアラブに征服されてイスラム都市となる。
→関連項目イスファハーンのイマーム広場

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世界大百科事典 第2版の解説

イスファハーン【Isfahān】

イラン高原中部の都市。人口122万(1994)。ペルシア語の正しい発音ではエスファハーンEsfahānアラビア語ではイスバハーンIṣbahān呼ばれるザーグロス山脈とその支脈の山々に囲まれた標高約1600mの盆地状の高原にある。町の南にザーグロス山脈に水源を発するザーヤンデ・ルード川が西から東へ流れている。周辺の農村はこの川によって灌漑され,その豊かな生産力によってイスファハーンはイラン屈指のオアシス都市として古来,繁栄してきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イスファハーン
いすふぁはーん
Efahn

イラン中部、イスファハーン州の州都。エスファハーンともいう。イラン第三の都市で、テヘランの南方420キロメートル、標高1590メートルの高原に位置する。人口126万6072(1996)。年降水量は109ミリメートル。ザーグロス山脈に源を発するこの国最大の内陸河川ザーヤンデ・ルード川が町を貫流する。古くから伝統工芸の中心地で、更紗(さらさ)、銅細工、彫金細工、象眼(ぞうがん)細工、カーペット織などは有名。19世紀にマンチェスター産綿布が流入するまでは、イランでもっとも重要な綿織物の産地であった。サファビー朝のシャー・アッバースによってジョルファから移されたアルメニア人の居住区(ジョルファ)が町の南部にある。ユダヤ人も多い。町の周辺はイラン高原でもっとも豊かな土地で、ザーヤンデ・ルード川の水を利用し野菜や米などが集約的に栽培されている。19世紀にはアヘンの最大の産地でもあった。イランの古都であるため史跡、名所が多く、シャー・アッバースが設けた王の広場を取り巻くマスジッド・イ・シャー(王のモスク)やアリカプー宮殿、ザーヤンデ・ルード川にアッバース2世(大王)によって架けられたハージュー橋などはとくに有名である。テヘランへは鉄道が通じており、国際空港もある。[岡正孝]

歴史

アケメネス朝ペルシア時代から存在し、ササン朝ペルシア時代には主要都市の一つであった。大河ザーヤンデ・ルードの水に恵まれ、オアシス農業の中心地として発展した。7世紀中ごろアラブの大征服によってイスラム圏に入り、正統カリフ時代、ウマイヤ朝、アッバース朝時代には、それらの総督によって統治された。一時、サッファール朝、サーマーン朝の支配下に入ったこともある。本格的に都市が発展したのはブワイフ朝(932~1062)時代のことで、同朝のジバール地方(中央イラン)における中心地となり、城塞(じょうさい)、市壁、モスクが造営され、バザールも整備された。セルジューク朝時代には一時首都となり、大モスクがつくられ、商業、文化の中心地となったが、スルタンがホラサーンへ移ったのちには、治安も悪化し、荒廃した。イル・ハン朝期には、総督による間接統治下に入り、ある程度繁栄を取り戻したが、ティームール朝、黒羊朝、白羊朝時代にはふたたび衰退した。サファビー朝(1501~1736)時代には再度商業、文化、宗教の中心地となり、とくに16世紀末にシャー・アッバースによって首都に定められて、マスジット・イ・シャーなど中東屈指の建築物がつくられ、「イスファハーンは世界の半分」とうたわれる繁栄を現出した。17世紀中ごろには、162のモスク、1802のキャラバン・サライ(隊商宿)があったという。しかし18世紀前半にアフシャール人のナーディル・シャーがマシュハドに遷都して以来、人口が流出し、飢饉(ききん)の影響もあって衰退の一途をたどった。19世紀末ごろから人口が増加に転じ、現在の大都市へと回復した。近年は工業化が著しい。[清水宏祐]

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世界大百科事典内のイスファハーンの言及

【市】より

…アッバース朝の首都バグダードにあったカルフの商工業地区はこれの典型である。 大市場のもつ流通機能をイランのイスファハーンのそれを例にとって説明しよう。この町のバーザールはアラブ征服時代からその原形があったが,16世紀サファビー朝時代に整備されて今のような形になった。…

【シャー・モスク】より

…イランのイスファハーンに,サファビー朝のシャー・アッバース1世によって1612‐37年に建立された同朝の代表的なモスク。〈王のモスク〉の意。…

【都市】より

…アッバース朝(750‐1258)の首都として盛時には人口150万を数えたバグダードは,10世紀を過ぎる頃からしだいに衰退し,またバグダードに代わってイスラム世界の中心となったカイロも,14世紀半ばのペストの流行を機に活況を失い,やがてイスタンブールにその地位を明け渡す。サファビー朝(1501‐1736)時代のイスファハーンはヨーロッパとの絹貿易によって繁栄を続けたが,オスマン帝国支配下のアラブの諸都市は一様に人口が減少し,文化活動も概して低調であった。これらの都市に復興の兆しが見え始めるのは,19世紀以後になってからのことである。…

【マスジェデ・ジョメ】より

…イランのイスファハーンにあるモスク。イランにおけるセルジューク建築の傑作。…

※「イスファハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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