イパーチエフ(英語表記)Vladimir Nikolaevich Ipatiev

改訂新版 世界大百科事典 「イパーチエフ」の意味・わかりやすい解説

イパーチエフ
Vladimir Nikolaevich Ipatiev
生没年:1867-1952

モスクワ生れの化学者。高圧接触化学の開拓者。はじめ軍人教育を受けたが,砲術士官学校で学んだ化学に興味をもち,1896年ミュンヘン大学のJ.F.W.A.vonバイヤーのもとに留学,99年母校の教授。革命後も重要な地位にあり,レニングラードの高圧研究所を組織した(1927)。1930年アメリカに移り,市民権を得,ノース・ウェスタン大学教授,ユニバーサル石油会社研究部長を歴任。彼の名を有名にしたイソプレン合成をはじめ,みずから発明した高圧ボンベ(イパーチエフ・ボンベ。1903-04)による高圧化学反応,金属酸化物触媒の探究およびそれによるさまざまな炭化水素化合物の熱分解,合成,重合などに多大の業績をあげた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

化学辞典 第2版 「イパーチエフ」の解説

イパーチエフ
イパーチエフ
Ipat'ev(Ipatieff), Vladimir Nikolaevich

ロシアの工業化学者.モスクワに生まれる.ミハイル砲兵アカデミー卒.砲兵士官.1899年母校の教授.1916年サンクトペテルブルク科学アカデミー正会員.高圧ボンベを製作し,高圧下での有機化合物触媒反応の研究の先駆者,またイソプレンの合成で有名.第一次世界大戦中に砲兵中将に昇進し,化学軍需物資供給と化学戦(毒ガス戦)の責任者を務める.1917年のロシア革命後も,戦後祖国の復興という立場からロシアに残留し,化学工業の復興と発展を助け,新しい研究組織を設立した.しかし,スターリン体制下に革命前からの旧専門家への弾圧粛清がはじまったので,1930年国際会議への出席を口実に妻とともに出国し帰国しなかった.晩年は,アメリカのノースウエスタン大学教授として接触高圧反応研究室を主催し,石油会社の研究所も指導した.シカゴ死去

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

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