イ・ミョンバク(読み)李 明博(その他表記)Lee Myung-bak

現代外国人名録2016 「イ・ミョンバク」の解説

イ・ミョンバク
李 明博
Lee Myung-bak

職業・肩書
政治家,実業家 元韓国大統領,元ソウル市長,元現代建設会長

国籍
韓国

生年月日
1941年12月19日

出生地
大阪府

学歴
高麗大学商学科〔1965年〕卒

勲章褒章
韓国国民勲章石榴章, 金塔産業勲章

経歴
大阪に生まれ、3歳で韓国に帰国。昼間は働きながら浦項市の定時制高校で学び、高麗大学を卒業。“韓日条約反対闘争”のリーダーとして投獄された経験を持つ。1965年現代建設入社。鄭周永側近として仕え、’77年35歳の若さで社長に就任。’88〜92年会長。鄭と二人三脚で、中小企業だった同社を中核とする現代グループを世界的な規模の財閥に育て上げたことは“サラリーマン神話”といわれ、韓国の高度経済成長の主役だった。現代エンジニアリング社長、仁川製鉄会長なども歴任。’90年民自党に入党し政界転身。’92年鄭が新党を結成し、大統領選への意欲を示したことに反対して鄭と袂を分かつ。同年国会議員に当選。’96年新韓国党から出馬し再選するが、公職選挙法違反に問われて被選挙権を失った。2000年8月特赦で復権。2002年4月ソウル市長に当選、7月就任。市中心街でアスファルトと高架道路を撤去し、往年清流・清渓川を復元させるなど果敢な行政手腕を発揮。2006年6月退任。2007年12月ハンナラ党(現・セヌリ党)候補として大統領選に出馬し、大統合民主新党の鄭東泳元統一相らに圧勝。2008年2月大統領に就任。10年ぶりの保守政権を率いる。2008年4月、7月、12月、2009年6月、2010年11月訪日。2012年8月現職大統領として初めて、日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)に上陸。同月天皇陛下に対する謝罪要求発言を行う。2013年2月大統領を任期満了で退任。著書に「強者は迂回しない」(邦題李明博自伝」)がある。熱心なクリスチャンとして知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イ・ミョンバク」の意味・わかりやすい解説

イ・ミョンバク(李明博)
イ・ミョンバク
Lee Myung-bak

[生]1941.12.19. 大阪
大韓民国(韓国)の政治家,実業家。大統領(在任 2008~13)。日韓併合時代の大阪府で 7人兄弟の 5番目として生まれ,1946年一家は日本の統治から解放された母国韓国に帰国した。極貧のなかで育ち,働いて学費を稼ぎ高麗大学を卒業。1964年に日韓国交正常化(→日韓基本条約)の反対闘争を主導し,6ヵ月間投獄された。1965年発足まもない現代(ヒュンダイ)建設に入社して頭角を現し,現代グループを財閥に育て上げるために貢献。現代建設および系列 9社の最高経営責任者 CEOを兼務していた 1992年,国会議員となり政界入りを果たした。1996年再選,1998年選挙資金にかかわる不正疑惑で有罪となり辞職。その後 1年間アメリカ合衆国に滞在したのち,2002~06年ソウル市長を務めた。2007年の大統領選挙にハンナラ党から出馬して与党候補に圧勝,10年ぶりの保守政権を誕生させた。2013年2月,任期満了により退任した。

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百科事典マイペディア 「イ・ミョンバク」の意味・わかりやすい解説

イミョンバク

李明博

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