ハンガリー生まれのアメリカの理論物理学者。ドイツのベルリン工科大学に学び、同大学講師、ゲッティンゲン大学講師を経て、1930年アメリカのプリンストン大学講師に就任。1936年ウィスコンシン大学教授、1937年アメリカに帰化、1938年プリンストン大学の理論物理学教授となった。F・ザイツとともに金属の凝集エネルギーの理論(ウィグナー‐ザイツの方法)を提唱。また量子力学の群論的取扱いによって波動関数の対称性の問題に注目し、その方法によって原子内電子のスペクトル線、原子核の構造、核力の性質などの解明を行った。1963年「原子核および素粒子の理論における対称性の発見と応用」に対してノーベル物理学賞が与えられた。第二次世界大戦中には、シラード、テラーとともにアメリカの原爆製造計画(マンハッタン計画)に参加し、シカゴ冶金(やきん)研究所の理論物理学部門の部長となり、フェルミらとともに原子炉建設に従事した。第二次世界大戦後、オークリッジ原子力研究所副所長、民間会社の顧問などを務めた。
[小林武信]
『ウィグナー著、森田正人・森田玲子訳『群論と量子力学』(1971/オンデマンド版・2000・吉岡書店)』▽『E・P・ウィグナー著、岩崎洋一他訳『自然法則と不変性』(1974・ダイヤモンド社)』▽『岩崎洋一訳「原子核および素粒子の対称性の研究」(ノーベル財団著、中村誠太郎・小沼通二編『ノーベル賞講演 物理学9』所収・1979・講談社)』▽『H・A・ベーテ、P・A・M・ディラック、W・ハイゼンベルク、E・P・ウィグナー著、青木薫訳『物理学に生きて――巨人たちの思索の軌跡』(1990・吉岡書店/ちくま学芸文庫)』▽『Paul WignerCollected Works of Eugene Paul Wigner(1992, Springer Verlag, New York)』
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