日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィグモア」の意味・わかりやすい解説
ウィグモア
うぃぐもあ
John Henry Wigmore
(1863―1943)
アメリカの法学者。ハーバード大学を卒業後、ノースウェスタン大学の教授、法学部長を歴任(1893~1943)した。著作も多く、とくに証拠法――主著『コモン・ロー裁判における英米法的証拠法論』A Treatise on the Anglo-American System of Evidence in Trials at Common Law(1904~1905)、および比較法制史――主著『世界法制概観』A Panorama of the World's Legal Systems(1928)の分野で大きな業績を残した。また日本の法学界と関係が深かったことでも知られている。1889~1893年(明治22~26)の間、慶応義塾大学で英米法を教えた。その間、日本の法制、とくに江戸時代の法制を研究し、『古い日本における私法の研究資料』Materials for the Study of Private Law in Old Japan(1892~1893)、『徳川時代の法律と裁判』Law and Justice in Tokugawa Japan(1941)などの著作を残した。彼の在日当時、日本では法典論争が行われ、もっぱら西欧法(フランス、ドイツ、イギリスの法律)の吸収に関心が向けられ、日本に固有なものは古いものとして、抹殺、黙殺されるという風潮にあった。このようななかにあって、ウィグモアは江戸時代の法研究に関心をもち、多くの資料を収集して、優れた業績を残した。
[水田義雄]
『高柳賢三『ウィグモア先生について――人格と学識と事業』(『法律時報』第7巻6号所収・1935・日本評論社)』