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ウィルヘルム2世 ウィルヘルムにせいWilhelm II; Friedrich Wilhelm Viktor Albert

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウィルヘルム2世
ウィルヘルムにせい
Wilhelm II; Friedrich Wilhelm Viktor Albert

[生]1859.1.27. ポツダム
[没]1941.6.4. ドールン
ドイツ帝国最後の皇帝 (在位 1888~1918) 。フリードリヒ3世の長子として生れ,1877~79年ボン大学に学び,79年以後陸軍勤務,88年皇帝となった。ただちに宰相 O.フォン・ビスマルクと確執を起し,90年ビスマルク罷免後は親政を行い,「ウィルヘルム時代」を築いた。しかしドイツ植民地の発展,海上帝国建設などの彼の世界政策の遂行は列強を刺激し,1907年の英仏露三国協商による包囲を招き,国際的孤立に陥った。イギリス,ドイツを中心とする二大陣営の対立は,結局,第1次世界大戦の勃発とドイツの敗退を招き,18年の革命の結果オランダに亡命,退位した。以後帝政復活の機をうかがったが成功せず,同地で死去。 (→3B政策 )  

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20世紀西洋人名事典の解説

ウィルヘルム2世
Wilhelm Ⅱ


1859 - 1941.6.4
ドイツ国籍。
元・ドイツ皇帝,元・プロイセン王。
フリードリヒ3世の子で父王が没したのち、29歳で即位する。即位後まもなく宰相ビスマルクと対立し、1890年罷免する。積極的な対外膨張政策として世界政策を展開するが、ロシアとの再保障条約の不更新や近東への進出などで他の列強との摩擦を増大させドイツの権威失墜と国際的孤立を招き、第一次世界大戦の敗北とドイツ革命の勃発により退位してオランダに亡命する。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について | 情報

367日誕生日大事典の解説

ウィルヘルム2世

生年月日:1859年1月27日
ドイツ帝国最後の皇帝
1941年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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