アメリカの総合電機メーカー。同分野でゼネラル・エレクトリック(GE)に次ぐメーカーとして知られていたが、1995年にアメリカ三大ネットワークの一つであるCBSを買収して事業の中心を放送メディアに移し、1997年に社名をCBSに変更。CBSは1999年にメディア企業大手のバイアコムに買収された。
1886年に発明家のG・ウェスティングハウスによってペンシルベニア州でウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーとして設立された。1867年に鉄道用エアブレーキを開発したウェスティングハウスは、その製品化に成功し、この原理を電気に応用した高圧送電による交流システムを完成。その後、同社の設立となった。1889年チャーティアーズ・インプルーブメント社が同社を買収したうえ社名をウェスティングハウス・エレクトリック・マニュファクチュアリング・カンパニーに改めたが、1945年5月、ウェスティングハウス・エレクトリックに再度改められた。
ウェスティングハウス・エレクトリックの営業部門は、輸送時の温度管理事業、発電設備事業、原子力発電設備事業、陸・海軍の原子力施設の管理など、高度な技術水準が要求されるものであり、最大の顧客は連邦政府であった。その活動は世界各国に及び、1920年代初期から三菱系資本との結び付きも密接であった。1981年8月に、アメリカ最大のCATV(ケーブルテレビ)会社テレプロンプター・コーポレーションを6億4600万ドルで買収するなど、すでに放送部門への進出に意欲を示していた。100%子会社のウェスティングハウス放送会社は、ボルティモア、フィラデルフィア、サンフランシスコなどにテレビ放送会社6社と、ボストン、シカゴなどに12のラジオ放送会社をもった。
1991年決算で赤字に転落以来、業績の低迷していたウェスティングハウス・エレクトリック社はその建て直しを図り、ウェスティングハウスのメディア企業化という大胆なリストラクチャリングを決定し、電力事業や管理ビジネス部門などを売却していった。1995年、同社はメディア企業のCBSを買収し、翌年11月にはその戦略的分離を発表。ウェスティングハウスは放送メディア部門のウェスティングハウスCBSと工業製品部門のウェスティングハウス・エレクトリックに分離された。ウェスティングハウスCBSは、CBSラジオとCBSテレビの放送局ネットワーク、各種CATVのネットワークなどを傘下に収める、アメリカ合衆国内におけるメディア産業の中軸企業の一つとなった。一方のウェスティングハウス・エレクトリックは電機と放送の2事業への分割後、重電などの伝統的ビジネス部門の売却を続け、事業を縮小、1998年には発電システム部門をドイツのジーメンスに売却、続いて原子力発電部門をアメリカの建設大手モリソン・クヌードセンMorrison Knudsen Corp.とイギリスの核燃料公社の合弁会社に売却し、発電システム事業全体を手放した。発電システムはジーメンス・ウェスティングハウスとして再出発し、原子力部門はウェスティングハウス・エレクトリックの社名を継いだものの、従来の総合電気メーカーとしてのウェスティングハウスは姿を消した。ウェスティングハウスCBSは1997年には社名をCBSに変更。1999年9月、CBSはケーブルテレビのMTVやパラマウント映画などを有する同メディア企業大手のバイアコムViacom Inc.と合併し、巨大複合メディア企業となった。
[佐藤定幸・萩原伸次郎]
アメリカの発明家、企業家。ニューヨーク州セントラルブリッジに生まれる。南北戦争に従軍ののち、父の営む農機具工場を手伝い、かたわら新しい技術の開発に没頭した。1867年に鉄道用エアブレーキを開発、これを企業化することによって鉄道輸送の効率と安全性を高めるのに大きく貢献した。さらに1883年ごろ、その原理を天然ガスの採掘に応用、高圧の気体を低圧化する装置を考案し、天然ガス利用の道を開いた。ついでこの原理を電気に応用、高圧送電による交流システムを完成し、1886年ウェスティングハウス社(現、CBS)を創設した。彼の手になる発明は数多く、生涯に得た特許は400件にも達する。
[小林袈裟治]
アメリカの電気機械メーカーであるウェスティングハウス・エレクトリック社を創立した企業家,発明家で,交流技術の推進者として知られている。アメリカのニューヨーク州セントラル・ブリッジで生まれた。生家は農業機械を製造していた。ユニオン・カレッジに学んだあと,南北戦争で北軍に加わった。圧縮空気ブレーキを発明し1867年に特許をとり,69年にウェスティングハウス空気ブレーキ社を設立し,ピッツバーグに工場を建てた。鉄道ブレーキ,鉄道信号の製造に成功し,ヨーロッパ各国にも進出した。70年代からは重電機製造に力を入れ,86年にウェスティングハウス・エレクトリック社を設立した。当時,公共電力網に直流と交流のいずれを採用すべきかの論争があった。ウェスティングハウスは交流技術の将来性を見抜いた。彼は優れた技術者を迎える包容力があり,ゴラールL.Gaulard(1850-80)とギブズJ.D.Gibbsの特許を取得し,変圧器と配電のスタンリーW.Stanley(1858-1916),多相誘導電動機のN.テスラ,計器のシャレンバージャーO.Shallenburgerを傘下におさめて交流システムを開発した。
執筆者:高橋 雄造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…本社ピッツバーグ。発明家G.ウェスティングハウスが,交流配電の将来性を予見して1886年1月に創立。エジソン社の直流方式に対抗して同年秋に最初の交流中央発電所をバッファローに設立し,交流の優位性を立証した。…
※「ウェスティングハウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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