ロシアの作家。貧しい官吏の子として生まれ,ペテルブルグ,モスクワ両大学をいずれも経済的理由で退学。いとこの作家ウスペンスキーNikolai V.Uspenskii(1837-89)の影響もあって,1862年に作家活動に入る。ゴーゴリ以来の自然派のリアリズムの伝統をひきつぎ,農村や都会の片隅に生きる下層民の悲惨な生活を描いた《村の出合い》(1865),《ラステリャーエワ街の風俗》(1866),《零落》(1869)などの作品を,当時の民主派の雑誌に発表し,高い評価を受ける。70-80年代には,N.K.ミハイロフスキーをはじめとするナロードニキ思想家たちと交わり,農奴解放後の民衆の生活の実態を調査すべく,多くの地方を遍歴,セルビア,ブルガリアにまで赴いた。それをもとに書かれた《百姓と百姓仕事》(1880),《土の力》(1882)には,資本主義の浸透によって落ちぶれていく農民の姿が,ありのままに描きだされており,農村文学の傑作とされている。
執筆者:渡辺 雅司
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ロシア人民派(ナロードニキ)の代表的作家。モスクワ大学中退後、従兄(いとこ)のニコライ・ウスペンスキーらの影響下に、故郷の町トゥーラの小役人や職人の生活の悲哀を深い現実認識に基づき記録文学風に書いた『ラスチェリャーエワ街の風習』(1866)により文名を確立。以来、資本主義的諸関係の農村への浸透が引き起こす共同体的ロシアの崩壊、農民の階層分化などの歴史的変貌(へんぼう)を庶民生活の精密な調査によって記録する、独自の社会学的ルポルタージュの作品世界を完成させた。代表作は、ほかに『土地の力』(1882)、『百姓と百姓仕事』(1880)など。なお、晩年、精神に異常をきたし、生涯を終えた。
[島田 陽]
ロシアの小説家。最下層の田舎(いなか)司祭の子。大学中退後作家活動に入る。農奴解放(1861)前はネクラーソフら進歩派の支持を得たが、個人的不和から寄稿する雑誌を転々と変えた。晩年は放浪と飲酒に明け暮れ、破滅型無頼派らしく路上で自殺して果てた。作品世界の特徴は、農民の赤貧、無知が結果する精神と肉体の荒廃をリアルに描出する点にある。『子豚』(1858)、『よい暮らし』(1858)などの作品がある。
[島田 陽]
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…一般に特定の個人への直接的な呼びかけ,あるいは掛合いという形をとるので,即興性も重要な特徴をなしている。チャストゥーシカを独立した歌謡の形式としてはじめて認めたのは作家のG.ウスペンスキーであるが(1889),ロシア各地で本格的な収集と刊行がはじまるのは20世紀になってからである。ブロークやエセーニンをはじめとして,現代のソビエト詩人にいたるまで,この民謡の形式をかりて作品を創作している詩人は枚挙にいとまがない。…
※「ウスペンスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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