ウラジカフカス(読み)うらじかふかす(英語表記)Владикавказ/Vladikavkaz

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウラジカフカス」の意味・わかりやすい解説

ウラジカフカス
うらじかふかす
Владикавказ/Vladikavkaz

ロシア連邦南西部に位置し、同連邦に属する北オセチア共和国の首都。人口31万0600(1999)。1931~1944年にはオルジョニキーゼОрджоникидзе/Ordzhonikidze、1944~1954年にはザウジカウДзауджикау/Dzaudzhikauとよばれ、1954~1991年はふたたびオルジョニキーゼに戻ったが、ソ連崩壊(1991年12月)後は1931年以前の名称であるウラジカフカスの名が復活した。大カフカス山脈北麓(ほくろく)にあり、テレク川の谷に位置する。ジョージアグルジア)軍用道路を守備するため、オセット(オセチア)人が居住するザウジカウ近傍に建設したロシア軍の要塞(ようさい)村落起源である。1860年市制を敷き、1863年から郡役所所在地となり、交易と駐在軍でにぎわった。電気機器、自動車電装品、鉄道車両修理、亜鉛電気精錬、化学繊維、靴、家具などの工場がある。北オセチア民族文化の中心地で、北オセアニア国立大学、農業大学、工業大学のほか、単科大学として医科大学、応用心理学大学、社会学大学があり、オセット語とロシア語のそれぞれの劇場交響楽団、美術館が置かれている。スンニー派のイスラム教寺院も保存されている。市街はロシアの植民都市形態である方形地割を残し、緑樹が美しい。当市から鉄道支線23キロメートルで、バクー―ロストフ・ナ・ドヌー間の幹線に接続し、道路も同区間の幹線が通じている。

[上野俊彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウラジカフカス」の意味・わかりやすい解説

ウラジカフカス
Vladikavkaz

ロシア連邦南西部,北カフカス地方にある北オセティア共和国の首都で,テレク川にのぞむ。人口31万4483(2004)。1931年までウラジカフカス,1931年革命家G.K.オルジョニキーゼにちなんでオルジョニキーゼOrdzhonikidzeと改称,44-54年にはジャウジカウDzaudzhikauと称されたが,54年オルジョニキーゼに復し,90年現名となる。1784年カフカス山脈を越えグルジアのティフリス(現トビリシ)に至るグルジア軍道(1799開通)の起点の要塞として建設,その名ウラジ(〈支配〉の意)カフカスが象徴的に示すように,ロシアがカフカス諸民族を軍事的に支配するための拠点であった。市となったのは1860年,十月革命前はテレク州の州都。第2次世界大戦中の1942年11月,ドイツ軍を阻止し反攻に転じた戦場が近郊にある。今日,共和国の工業生産高の4分の3を占める中心都市で,非鉄金属,機械,機器製造等の重工業のほか,食品,衣料等の軽工業が行われる。ザカフカスと北カフカスを結ぶ鉄道・道路交通網の要地でもある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウラジカフカス」の意味・わかりやすい解説

ウラジカフカス
Vladikavkaz

1931~44年オルジョニキーゼ Ordzhonikidze,44~54年はザウジカウ Dzaudzhikau,54~90年は再びオルジョニキーゼ。ロシア南西部,北カフカス,北オセチヤ共和国の首都。大カフカス山脈中部北麓にあり,テレク川にのぞむ。 1784年建設され,カフカス越えのジョージア(グルジア),オセチヤ両軍用道路を守る拠点要塞であった。 1860年市となり,75年にはロストフナドヌーとバクーを結ぶ幹線鉄道の支線が通じた。鉛・亜鉛冶金,金属加工,電気機器,自動車部品,木材加工,食品などの工業がある。北オセチヤの教育・文化中心地で,北オセチヤ大学 (1969) をはじめ医学,農業,鉱業の各大学,博物館,劇場などがある。人口 31万1635(2010)。

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百科事典マイペディア 「ウラジカフカス」の意味・わかりやすい解説

ウラジカフカス

ウラディカフカス

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