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ウルジー ウルジーWolsey, Thomas

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウルジー
Wolsey, Thomas

[生]1473頃.イプスウィッチ
[没]1530.11.29. レスター
イギリスの聖職者,政治家。肉屋の子に生れたといわれる。聖職につき,1507年以来ヘンリー7世,続いてヘンリー8世の宮廷に入って認められ,11年枢密顧問官,14年ヨーク大司教となり,15年には枢機卿大法官に任じられた。大法官に就任すると,王や枢密院が公式の命令を出すすべての部門を次第に掌握するようになり,以後その他位と権力を大いに活用して強大な権力を一身に集め,ヘンリー8世の片腕として活躍し,イギリスの国際的地位の向上に貢献した。しかし国王の離婚許可を教皇から得るのに失敗して失脚,反逆罪で逮捕され,ヨークからロンドンにおもむく途中病死。なお,ハンプトンコート宮とホワイトホール宮は,彼の造営に成る。

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世界大百科事典 第2版の解説

ウルジー【Thomas Wolsey】

1475?‐1530
イギリスの聖職者,政治家。ヨーク大司教(1514),枢機卿(1515),大法官(1515),教皇特派大使(1519)と要職を歴任する。外交面ではフランス神聖ローマ帝国のいずれかと結ぶ勢力均衡政策によったが結局は失敗した。内政面では課税強行あるいは議会無視の政治へと走り,宗教上では自ら教皇職を望みつつ成功せず,ヘンリー8世の離婚問題の処理をめぐって1529年に失脚した。富と権力に兼ね仕えた政治家聖職者の好例である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウルジー
うるじー
Thomas Wolsey
(1471―1530)

イギリスの聖職者、政治家。肉屋の息子に生まれたが、聖職者として累進し、ヨーク大司教(1514)、さらに枢機卿(すうききょう)(1515)となった。また、政治家としてもヘンリー8世の信頼と寵(ちょう)を得て、ついには大法官の地位につき(1515)、内政、外交の両面で宰相的役割を演じた。だが、その独裁ぶりが世人の憎しみを招き、やがては王もまた疑惑を抱くに至る。とくに王の離婚問題が起こると、王の希望を満たしえず、宮廷より左遷される。のちには反逆罪で起訴され汚名を負ったまま病死した。[植村雅彦]

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