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エアハルト Erhard, Ludwig

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エアハルト
Erhard, Ludwig

[生]1897.2.4. ニュルンベルク近郊フュルト
[没]1977.5.5. ボン
西ドイツの政治家。フランクフルト大学卒業。第2次世界大戦から戦後初期にかけて経済学者,バイエルン州政府閣僚として活躍。 1948年の西ドイツの通貨改革で手腕を発揮し,49年ドイツ連邦共和国 (西ドイツ) の発足とともに,経済相に就任 (1949~63) ,戦後経済の復興にあたり,57年以後は副首相を兼任,奇跡的な経済繁栄の実現に成功した。 K.アデナウアーの退陣により,63年 10月第2代西ドイツ首相に就任したが,1960年代なかばの経済停滞に有効に対処しえず,66年 11月首相の地位を去り,キリスト教民主同盟名誉総裁となった。

エアハルト
Erhart, Gregor

[生]? ウルム
[没]1540頃.アウクスブルク
ドイツの彫刻家。ウルムで修業し,1494年以降アウクスブルクで活躍。作品『ブラウバウレンの祭壇』 (1493~94) ,『聖母子』 (ベルリン国立美術館) など。

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デジタル大辞泉の解説

エアハルト(Ludwig Erhard)

[1897~1977]ドイツの政治家。キリスト教民主同盟の党員。のち、党首。1949年、経済相となり、西ドイツ経済の奇跡的復興に成功。63年から66年まで首相。→キージンガー

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百科事典マイペディアの解説

エアハルト

西ドイツの政治家。1928年―1942年ニュルンベルク商科大学産業景気研究所員。第2次大戦後バイエルン州経済相,連邦経済相(1949年―1963年),連邦首相(1963年―1966年)を歴任し,社会的市場経済政策により西ドイツ経済の奇跡的復興を実現した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エアハルト
えあはると
Ludwig Erhard
(1897―1977)

ドイツの政治家。バイエルンのフュルトに生まれる。第一次世界大戦に参加したのち、ニュルンベルクとフランクフルトの大学で経営学および社会学を学び、1928~1942年ニュルンベルク経済観測研究所に勤めた。第二次世界大戦後アメリカ占領軍当局の経済顧問を経て、1945~1946年バイエルン州政府の経済相、1948~1949年統合経済地域経済管理庁長官に任命され、1949年ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)成立とともにアデナウアー内閣の経済相に就任した。「社会市場経済」を唱え、西ドイツ経済復興の立役者としての評判を得た。1963年アデナウアーが退陣したのち、後継首相に選出され、1966年にはキリスト教民主同盟(CDU)総裁の地位も獲得した。しかし、もともと党内にはエアハルトの政治的指導に疑問を示す者が多く、とくに1966年ノルトライン・ウェストファーレン州選挙でのCDUの敗北は、彼の党内での地位を低下させた。1966年、予算問題をめぐって連立与党の自由民主党(FDP)が閣僚を引き揚げたため、首相を辞任し、翌1967年にはCDU総裁の地位も手放した。[深谷満雄]

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