エイナウディ(読み)えいなうでぃ(英語表記)Luigi Einaudi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エイナウディ」の意味・わかりやすい解説

エイナウディ
えいなうでぃ
Luigi Einaudi
(1874―1961)

イタリアの政治家、経済学者。1902年以来トリノ大学財政学教授、リンチェイ・アカデミー会員、『スタンパ』『コルリエーレ・デッラ・セーラ』両紙および『ウニタ』誌の寄稿家であるとともに、『リフォルマ・ソチャーレ』誌(1908~1935)と『リビスタ・ディ・ストリア・エコノミカ』誌(1935~1943)の主筆であり、1919年以来、短期間を除いて生涯上院議員でもあった。古典的自由主義理論の擁護者として、税の均等化と議会生活の道徳化のために戦った。徹底した自由貿易論者でもあり、ジョリッティのような改良主義に対しても、ファシズムに対しても明確に反対の態度を堅持した。1943年9月の休戦後スイスに亡命し、終戦後、帰国。イタリア銀行総裁(1945~1948)、第四次デ・ガスペリ内閣に副首相兼予算相として入閣平価切下げを断行して中道政治の経済的基礎を築いた。ついで共和国初代大統領を務めた(1948~1955)。

[重岡保郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「エイナウディ」の意味・わかりやすい解説

エイナウディ
Luigi Einaudi
生没年:1874-1961

イタリアの経済学者,政治家。ピエモンテ州のクネオ県カルーに生まれる。1902年以降トリノ大学等で財政学教授を務める。1900-25年ミラノの有力日刊紙《コリエーレ・デラ・セーラ》の経済担当編集者等として活躍。1908-35年には雑誌《リフォルマ・ソチアーレ》の編集長を務める。その間財政・金融,経済史などに関する著作を多数発表し,自由主義経済学者として国際的名声を獲得。1919年上院議員となるが,ファシズム末期の43年スイスに亡命した。第2次大戦後の45-48年イタリア銀行総裁,48-55年イタリア共和国大統領。その間,47年には第4次デ・ガスペリ内閣の副首相兼予算大臣として通貨の安定とインフレ抑制をめざして引締め政策をとるなど,戦後復興期の経済政策遂行に指導的役割を演じた。主著《18世紀初頭,スペイン継承戦争期におけるサボイア公国の財政》(1908),《財政学原理》(1932)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エイナウディ」の意味・わかりやすい解説

エイナウディ
Einaudi, Luigi

[生]1874.3.24. ピエモント,カル
[没]1961.10.30. ローマ
イタリアの経済学者,政治家。 1902年以降トリノ,ミラノ大学で財政学を講義。 19年上院議員。 22年 B.ムッソリーニ政権の誕生とともに著作活動に専念,43~45年スイスに亡命。 45年帰国,イタリア銀行総裁を経て 47~48年 A.デガスペリ内閣の副首相兼予算相。このときマーシャル・プラン受入れ,第2次世界大戦後のインフレ収拾にあたり,イタリア経済の再建に貢献した。 48~55年共和制初代大統領に就任。 55年以降終身上院議員。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エイナウディ」の解説

エイナウディ
Luigi Einaudi

1874~1961

イタリアの経済学者,政治家。自由経済主義と政治的自由主義が持論。第二次世界大戦後,イタリア銀行総裁,予算相,副首相をへて,大統領(在任1948~55)。

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世界大百科事典(旧版)内のエイナウディの言及

【ピエモンテ[州]】より

…一人はグラムシとも交わりのあった反ファシズム思想の持主モンティAugusto Monti(1881‐1966)であり,もう一人はP.ゴベッティである。モンティはトリノの高校教師として,作家C.パベーゼや出版社主エイナウディGiulio Einaudi(1912‐ )らに大きな影響を与え,ゴベッティもモンティの生徒の一人であった。ゴベッティは若くして亡命先のパリに客死するが,彼が創刊した《バレッティ》誌(1924‐28)には詩人E.モンターレをはじめ,多数のピエモンテ出身の文学者たちが参加した。…

【メナボ】より

…イタリアの文学雑誌。E.ビットリーニI.カルビーノと連携して,1959年に,トリノのエイナウディ社から創刊した。ビットリーニは総合文化雑誌《ポリテークニコ》(1945‐47)と文学叢書《ジェットーニ》(1951‐58)の編集を通じて,ファシズムとレジスタンスを経た戦後のイタリア社会における文学や文化の責務を問いつづけてきたが,60年代を目前にして,高度産業化社会および国際化社会における新しい文学の責務を追究すべきことを痛感し,その拠点として,《メナボ》誌の発刊に踏み切った。…

【イタリア】より

…そうした問題に対して,本格的な対策が採られるようになったのは,1947年のことである。というのは,第4次デ・ガスペリ内閣のもとで,ルイージ・エイナウディが,インフレの阻止と通貨の安定をめざして引締め政策を実施したからである。そして,翌48年にはマーシャル・プランによる援助が受け入れられ,戦後再建が大きく前進したことは周知の通りである。…

※「エイナウディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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