エコミュージアム(読み)えこみゅーじあむ(その他表記)ecomuseum

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エコミュージアム」の意味・わかりやすい解説

エコミュージアム
えこみゅーじあむ
ecomuseum

エコミュージアムとは、ある地域環境全体を博物館museumと見立てて行われる諸活動であり、そのための社会的装置といえる。文化財の保存・展示を行う建造物としての博物館をさすのではない。エコミュージアムは、地域社会の発展に寄与することを目的にしている点、博物館の建物内に場を限定せず、地域内に点在する「遺産(エコミュージアムにおける遺産とは、人と環境のかかわりを表現する自然遺産文化遺産産業遺産のことである)」や「記憶」を対象とし、現地保存を原則とする点が、従来型の博物館と大きく異なっている。また、住民の参加を原則とすることも特徴である。なお、エコミュージアムとは、エコロジーecologyのミュージアム(博物館)museumのことをさすのではない。

[菊地直樹]

エコミュージアムの誕生

エコミュージアムは、エコロジーとミュージアムを結びつけた造語として、1960年代後半のフランスで生まれたエコミュゼécomuséeの英訳表記である。「エコ」はエコロジーとエコノミーeconomyの語源としての「家」を意味するオイコスoikosというギリシア語を意味しているとされる。エコミュゼの概念を提唱したのは、国際博物館会議(ICOM)の初代会長のジョルジュ・アンリ・リビエールGeorge-Henri Rivière(1897―1985)であるが、エコミュゼということばを生み出したのはICOM第2代会長ユーグ・ド・バリーヌ・ボアンHugues de Varine-Bohanである。1971年、フランスの環境大臣ロベール・プージャットが第9回国際博物館会議場で、このことばを宣言し、博物館関係者の間で認知された。

 フランスで「エコミュージアム」が生まれた背景には、中央集権化の弊害によって生じた地域格差を打開しようとする地方分権化の動きがあった。建築学者でエコミュージアム研究者の大原一興(おおはらかずおき)は、エコミュージアムは1968年の「五月革命の申し子」であったと指摘する。日本では、1974年(昭和49)に博物館学者の鶴田総一郎が「環境博物館」として紹介したのが最初であるが、当時はほとんど関心をよぶことがなかった。リビエールの論文に出会い、忘れ去られていたこのことばを再発見した博物館学者の新井重三(あらいじゅうぞう)は、1987年に「生活・環境博物館」と意訳して紹介した。ただ「生活・環境博物館」という訳語はあまり定着せず、英語のエコミュージアムというカタカナ表記が使われるのが一般的である。

[菊地直樹]

定義

エコミュージアムの定義は、いまだ法令等によって定められたものはない(2007年現在)が、リビエールが1980年に発表した「発展的定義」が基本的なものとして紹介されるのが一般的である。そこでは「テリトリーTerritory」「住民と行政」「時間の表現」「空間の解釈」「地域を映す鏡」「研究所」「保存機関」「学校」などが重要な概念としてとり上げられている。リビエールは「地域社会の人々の生活と、そこの自然環境、社会環境の発展過程を史的に探究し、自然遺産および文化遺産を現地において保存し、育成し、展示することを通して、当該地域社会の発展に寄与することを目的とする博物館である」と論じている。

 1995年(平成7)に発足した日本エコミュージアム研究会(JECOMS)が2001年に提示した「エコミュージアム憲章2001」では「エコミュージアムは、環境と人間の関わりを探る博物館システムである。それは、ある一定の地域において、住民の参加により、研究・保存・展示を行う常設の組織であり、地域社会の持続的な発展に寄与するもの」となっており、これも今日の代表的な定義である。

[菊地直樹]

基本構造と運営組織

エコミュージアムの基本的な構造や用語、運営についてみてみよう。

 遺産の分布範囲を「テリトリー」と設定する。地域全体を対象とするが、そのなかでも軸になる地域特性を調査・研究し、明確にすることが必要である。文化圏、交通圏、産業圏、自然環境、生きものの生息域、流域などがテリトリー設定の大きな要素になる。テリトリーの特性によって何をテーマにしたエコミュージアムかが明らかになる。テリトリー全体の情報を提供する施設を「コア施設Core Museum」とよぶ。地域の遺産が現地で保存・展示されている場所が「サテライトSatellite Museum(アンテナともいう)」であり、具体的には自然遺産、文化遺産、産業遺産で構成される。それらを結ぶのが「発見の小径Discovery Trails」である。

 エコミュージアムの運営は、住民と行政の「二重入力方式」で行うのが基本である。行政と住民による「管理・運営委員会」、学芸員(コンセルバトゥールconservateur)、住民の研究者による「学術委員会」、サテライト所有者(行政と住民)による「利用者委員会」などを設置することが望ましい。住民と行政の対等を理念としているが、現実的には行政主導のエコミュージアムが多いといわれている。

 こうした構造と運営からの説明は分かりやすい一方、固定的に捉えてしまう危険性もある。かつては「コア施設」と「サテライト」と「発見の小径」によって構成されるのが一般的と考えられていたが、それはあくまでも一つの形態であり、コアのないものも、サテライトのないものもある。エコミュージアムは、同一の構造と組織を備えるものではない。

 大原一興によると、エコミュージアムはフランスにおいても多様性に富み、形態や構造から定義されることはなく、地域や遺産、住民のあり方に応じて、変幻自在の関係的概念であるという。また大原は、(1)H(遺産heritage)地域における遺産などを現地保存すること、(2)P(参加participate)住民の未来のために、住民自身の参加による管理運営、(3)M(博物館museum)博物館活動、という三つの要素がバランスよく整い、密接なネットワークを組んでいることが、エコミュージアムの理想的な姿であると主張している。

[菊地直樹]

日本各地への導入

日本でもバブル経済崩壊後の1990年代以降、地方分権、地域の個性への関心が高まるにつれ、急速にエコミュージアムが注目されるようになってきた。輸入概念であるエコミュージアムが受け入れられた社会的背景として、エコジュージアム研究者の吉兼秀夫は、1970年代から町並み保存運動、生態系保護活動、地域文化創造活動、地域博物館の活動などエコミュージアムと類似した理念に基づく活動が展開されていたことを指摘している。

 実質的に日本にエコミュージアムを導入した新井重三が所属していた丹青総合研究所(現、丹青研究所)や財団法人環境文化研究所(現在は解散)は、1990年代前半から研究会を主宰し、全国的に概念と活動が広がっていった。日本で最初にエコミュージアムづくりに取り組んだのは、1992年と1995年に国際シンポジウムを開催した山形県朝日町である。また、千葉県南房総(みなみぼうそう)市、岩手県花巻(はなまき)市なども代表的な存在として挙げられる。各地でシンポジウムが開催され、エコミュージアムづくりが胎動するなか、ネットワーク組織として日本エコミュージアム研究会が1995年3月に発足した。シンポジウム、定例研究会、ニュースレター、機関誌の発行など海外および全国のエコミュージアム活動の紹介、会員の研究発表の場の提供等を行っている。

 以下に、これまでのエコミュージアムの全国大会の開催地とテーマを列挙する。

(1)第1回(1995)山形県朝日町「朝日町エコミュージアム」 磐梯(ばんだい)朝日国立公園の朝日連峰東麓(ろく)の山間に位置する朝日町の恵まれた地域遺産(自然、歴史、文化、生活、産業など)を積極的に生かし、自然との共生を図りながら地域のよりよい暮らしを目ざす
(2)第2回(1996)岡山県津山市「津山まるごと博物館」 歴史ある城下町の町並みと暮らしの文化の保存をテーマとした都市型エコミュージアム
(3)第3回(1997)千葉県南房総市「富浦エコミューゼ」 特産のビワなどを生かした産業の振興と南房総の自然・文化を残す方向での地域活性化
(4)第4回(1998)兵庫県豊岡市コウノトリ翔(かけ)る地域まるごと博物館」 国の特別天然記念物コウノトリの野生復帰プロジェクトとともに地域が取り組む人と自然の共生
(5)第5回(1999)静岡県川根町(現島田市)、中川根町本川根町(現川根本町)「川根地域まるごと博物郷(はくぶつきょう)」 大井川の清流復活と河川環境の保全に取り組み、流域の文化を伝える
(6)第6回(2000)岩手県花巻市「イーハトーブ・エコミュージアム」 宮沢賢治ゆかりの地域として自然、景観、生活文化などの環境を守り、町づくりに生かす
(7)第7回(2001)徳島県板野町・上板町・土成(どなり)町(現、阿波(あわ)市)「あさんライブミュージアム」 和三盆・藍染め・たらいうどんなどの特産、伝統技術、文化、自然などをはぐくむことによる地域の発展
(8)第8回(2002)島根県瑞穂町(現、邑南(おおなん)町)「瑞穂町エコミュージアム」 特別天然記念物オオサンショウウオ(ハンザケ)が生息する豊かな自然環境や文化遺産などを地域の宝として守り伝える
(9)第9回(2003)滋賀県湖北地域「湖北田園空間博物館/湖北エコミュージアム」 湖北(琵琶湖北東岸)の風物や文化を生かした地域の活性化、「故郷の原風景」をテーマとした観光の提供
(10)第10回(2004)三重県宮川流域「宮川流域エコミュージアム」 吉野熊野から伊勢神宮、志摩に至る広流域の多様な自然、歴史的町並み、文化、産業、産物などの保全と活用
(11)第11回(2005)東京大会「これまでの10年、これからの10年」 過去の活動を振り返り、今後を展望
(12)第12回(2006)石川県手取川(石川)流域「手取川エコミュージアム」 自然と人の関わりがテーマ、流域の遺産と環境(白山信仰、自然、景観、生活文化、産業など)を保全し活用する
 これら各地で催された大会のテーマは、それぞれ地域の特性を生かし、河川の流域、生きものの生息域、広域的な文化圏・行政圏など、テリトリーの範囲や名称も多様性に富んでいる。

[菊地直樹]

朝日町の事例

日本の代表的なエコミュージアムの事例が展開される山形県朝日町は、果樹栽培中心の農業を基幹産業とし、特産のリンゴとブドウ、酒造業を生かし「りんごとワインの里」として知られ、自治体である町の総合計画の基本理念として「エコミュージアム」が掲げられている。地域全体を博物館ととらえ、創遊館というコア施設を拠点とし、NPO法人朝日町エコミュージアム協会が町内の宝さがしやお宝展、地域の紹介やガイドブックの作成など多彩な活動を展開。自然遺産(ブナの原生林などの森、最上川、山や水源など景勝地、動植物など)、文化遺産(遺跡、建造物、町並みなど)、ワイン工場、りんご資料館、果樹園、りんご温泉、神社などがサテライトとして位置づけられ、域内にはサイン(看板)を設置、住民の案内人(学芸員)がいる。自然観察会、蜜ろうそくづくりなどの伝統的技術の体験プログラムなども開催され、自然との共生と、この地域ならではの豊かな生活と町づくりを目ざす。

[菊地直樹]

豊岡市の事例

国の特別天然記念物コウノトリを地域のシンボルとする兵庫県豊岡市は、野生コウノトリの日本最後の生息地として知られ、かつてコウノトリとともに暮らしてきた地域としての文化や記憶を培ってきた。現在、野生絶滅したコウノトリの野生復帰プロジェクトが進んでおり、その拠点である兵庫県立コウノトリの郷公園、兵庫県、豊岡市、市民グループ、農業者、ボランティアなどが、それぞれの立場で「コウノトリが棲める環境は、人間にとっても安全で住みよい環境」という考えのもと、豊かな生態系の再生、生きものにやさしい農業への転換、「田んぼの学校」など自然と触れ合う場の創出など、人と自然の共生に向けた取り組みが実施されている。

 コウノトリと暮らす地域に向けて、コウノトリの生息地である豊岡盆地全体を博物館と見立て、地域にある自然・文化・産業を遺産として位置づける「コウノトリ翔る地域まるごと博物館構想」が展開している。そこでは、(1)コウノトリが似合う田園景観づくり、(2)自然と共生する農業システムの実現、(3)環境学習の場づくり、(4)「新・田園生活」(地産地消や循環型の地域社会づくりを進めるとともに、地域の自然と人々の営みのなかで培われた「田園文化」の価値を再発見し、田園における新しい暮らし方を探ること)の創出、(5)自然生態系の保全・再生、(6)持続可能な観光の開発・実現、という環境整備の方向性を打ち出しており、地域の記憶の掘り起こし、環境教育や自然保護活動の推進、米や酒などコウノトリ・ブランドの特産品の開発、観光客の増大などがみられる。

[菊地直樹]

日本における課題

日本では、エコミュージアムは地域活性化の手法として注目されることが多く、地域社会の発展への寄与を目的とするエコミュージアムに期待するところは大きい。その一方で本家のフランスでは、エコミュージアムが広く認知されながらも「粗製乱造」とよばれる現象が生まれてきていると、社会教育学者の岩橋恵子(いわはしけいこ)は指摘する。一過性の観光施設にとどまらないために検討するべき課題が残されている。

 第一の課題として、エコミュージアム概念の固定化の問題がある。粗製乱造を避けるために、概念を固定化し組織的なチェックを強めればいいとは必ずしもいえない。エコミュージアムは、地域に存在する多様な遺産から何かを選び、エコミュージアムとして表現するという地域のダイナミズムのなかで絶えず生成されていくものであるからである。第二の課題として、住民参加の問題がある。フランスではアソシアシオンassociationとよばれるボランティアの住民組織(協同体)を基盤として活動が展開されているが、日本でも高まってきたボランティア活動やNPO活動に依拠しつつ、住民の主体性に基づき展開することが重要である。第三の課題は、調査・研究・教育活動が不可欠であることである。専門家による専門家のための調査・研究ではなく、地域住民の力量を培う学習機会を提供するものである必要がある。

 エコミュージアムは、実践のなかで自己と地域を問い直し、つねに創り出されていくものである。地域環境が過去から現在、未来につながっていることを地域住民自身が学び、地域の将来像を選択するための社会的装置としてのエコミュージアムの有効性が問われている。

[菊地直樹]

『新井重三編著『実践 エコミュージアム入門――21世紀のまちおこし』(1995・牧野出版)』『日本エコミュージアム研究会編『エコミュージアム・理念と活動――世界と日本の最新事例集』(1997・牧野出版)』『小松光一編著『エコミュージアム――21世紀の地域おこし』(1999・家の光協会)』『大原一興著『エコミュージアムへの旅』(1999・鹿島出版会)』『月刊『地理』50巻12月号「特集エコミュージアム」(2005・古今書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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