日本大百科全書(ニッポニカ) 「環境教育」の意味・わかりやすい解説
環境教育
かんきょうきょういく
身の回りや地球全体の環境と環境問題に関する教育。1960年(昭和35)前後に目にみえて現れてきた大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などの公害による環境問題、1980年代から表面化した酸性雨、地球温暖化などの地球全体の環境問題を取り上げ、子供、青少年、大人たちにその原因・実態・防止策などを認識させ、環境問題の重大性を意識させるための教育。公害や環境問題は生物、健康、経済、法律、行政、医学など広範な領域に多大な影響を及ぼしているため、その教育も学校教育においては、生活科、社会科、地理歴史科、公民科、理科、保健体育科など多くの教科で取り扱われている。また、「総合的な学習の時間」、特別活動、あるいは学校全体の教育活動として取り組まれている場合もある。
公害現象が1960~1980年代末に問題化したのを反映し、当初その教育は公害教育とよばれ、その時代の社会的課題として行われた。その後、公害現象は環境問題の一つとしてとらえられるようになり、1980年代後半には、環境を汚染したり破壊したりする諸現象を取り扱う環境教育に組み込まれた。環境教育では、環境問題の認識、具体的な解決策の提案、環境に対する倫理のあり方まで拡大して取り扱われている。
[池野範男]
環境教育の始まりとしての公害教育
公害教育は、公害から子供の健康をどのようにして守るかという教育現場の切実な要請から生まれ、多様に展開された。当初の特徴は、教師やその集団が地域住民とともに地域社会の公害現象を究明し、その究明過程や結果を教育現場に持ち込み、教材化し、公害学習として展開するところにあった。この学習は、その教師が担当する教科を中心にしてなされた。しかし、公害自体が総合的現象であり、その認識は総合的である必要から、諸教科に広げられ、さらには総合学習としても展開された。
[池野範男]
公害学習の取り組み
このような教育現場での自主的取り組みや、1967年(昭和42)成立の公害対策基本法(1993年環境基本法の施行に伴い廃止)の要請に基づき、教育課程にも、1968年に小学校、1969年に中学校のそれぞれの社会科学習指導要領に公害学習が位置づけられた。
公害教育で中心となっていた社会科では、小学校5年の工業単元、中学校公民的分野の経済単元で公害学習がなされてきた。この公害学習の指導に際しては、以下の諸点に留意すべきものとされた。(1)公害の現象面を具体的に理解させること、(2)健康、生命、自然は一度破壊されると二度と返ってこないこと、(3)その破壊は金銭では代替しえないこと、(4)公害発生の社会的・経済的メカニズムの認識、(5)公害防止対策を行う前に公害を未然に防ぐ必要があること、(6)そのためには住民運動や消費者運動が一定の力となること、(7)公害問題は単に一地域一国の問題だけでなく、環境破壊の問題として世界的な問題となっていること、などである。
公害教育は、人間尊重・福祉重視の経済観念を育成するためには、単なる学習テーマとして取り上げるだけでなく、学年段階、学校段階、学習領域や各教科の相互関連を十分に考慮して、小学校・中学校・高等学校での一貫した指導計画をたて学習させる必要があり、この一貫した指導計画や世界的視野を考慮した教育として「環境教育」が提唱されるに至った。
[池野範男]
公害教育から環境教育へ
1970年代に入り、環境汚染が拡大していることが世界中で認識されるようになった。この事態を受け、1972年に国連人間環境会議がストックホルムで開催された。この会議をきっかけに環境問題に関する国際的な取り組みのうえで要(かなめ)となる機関として国連環境計画が設立され、全世界で一気に環境問題への関心が高まった。公害、公害教育ということばは、それぞれ環境汚染や環境破壊、環境教育という用語で置き換えられるようになったが、それに伴って焦点、姿勢、対策に大きな違いが生じた。公害という概念やその教育では、被害実態を把握するために現象の発生源と被害者との関係に焦点を当てているのに対し、環境汚染、環境破壊という概念やその教育では、生態系の変化を把握するために環境上の変化そのものに焦点を合わせている。1990年代に入り、環境問題という概念によってこれらが統合され、それまでには表面に現れなかった加害者が被害者でもあるという関係、公害ということばでは取り扱わなかった自然環境や地域環境を含み、より包括的に取り扱われることになった。
1991年(平成3)、1992年に文部省(現文部科学省)が提示した『環境教育指導資料』の意義は大きい。この資料は、オゾン層の破壊、地球温暖化などの「環境問題」、ごみの増加、水質汚濁などの「都市・生活型公害問題」に、世界各国の共通した課題として取り組むために作成された。また、1992年にリオ・デ・ジャネイロで開かれた環境と開発に関する国連会議(地球サミット)も、日本では主として学校教育で取り扱われてきた公害問題を、学校外教育も含めた環境教育のなかで指導されるよう促すものであった。その指導や学習の原則は、「地球規模で考え、足元から行動する」Think globally,act locallyというものである。
その後、1993年(平成5)には環境基本法が、2003年には「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」(環境保全活動・環境教育推進法)が制定された。地球温暖化、廃棄物問題、身近な自然問題などの環境問題を理解したうえで、それらを解決し、持続可能な社会を実現するために、行政のみならず、あらゆる国民、事業者、団体が積極的に環境保全活動に取り組むことが必要とされている。また、2002年の「持続可能な開発に関する世界サミット」(ヨハネスバーグ会議)においては、日本のNGOと政府が提案した「国連・持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」が採択され、2005年より10年間、「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」と結び付けた環境教育が国際的に推進されるようになった。現在、政府レベルでも、各省で「21世紀環境教育プラン」を作成し、あらゆる年齢層が、学校、企業、地域社会などで、いつでも環境教育を推進できるように図っている。
[池野範男]
具体的な取り組み
1998年(平成10)の学習指導要領改訂により、新たに「総合的な学習の時間」が小・中・高等学校に設けられ、諸教科を越えた横断的、総合的な学習を行うことができるようになった。この時間において、環境教育や環境問題の学習を行う学校が増えてきている。学習としては、ごみ問題を地域の空き缶集めから取り上げ、リサイクル問題として扱ったり、地域の環境を「花いっぱい運動」に参加することから始め、身近な環境問題に取り組むように組織している。環境に対する青少年の意識を啓発し、環境やその問題に関する知識・理解、態度・関心を形成し、自然環境、社会環境など人間にかかわる環境に対して責任ある行動をとることができるように指導している。
これまでの公害教育を環境(問題)教育、あるいは、「総合的な学習の時間」における環境学習として組み込むときには、一貫した指導計画を立て、世界的視野を考慮した教育として行うことが必要である。また、どの教師にも指導可能なものとする教材集や指導事例集の発刊、環境問題の教育指導に関する教師の再教育も必要であろう。さらに学校教育だけでなく、社会教育や生涯教育としても取り組むことが要請されている。
環境教育は、20世紀の後半すぎから、環境問題の実態やその原因だけではなく、解決方法を知ることが必要となった。法律上の規制、技術革新、人々の意識改革、これらを総合的に用いて、自然環境、地球環境を保全する努力が必要である。環境保全にはいかなる技術が必要であるかを学び、その技術を使って努力していくことこそが環境教育といえよう。
現在の環境教育では、個々の社会や国家のなかの問題だけではなく、地球規模のグローバルな問題として、実態を知り、それに対して、いつ、だれが、どのように行動するかも学ばなければならない。解決方法や実施手段、それらの担い手の育成も課題となっている。それらを踏まえて、新しい持続可能な社会のあり方・つくり方が求められている。つまり、環境教育は、「持続可能な開発」とともに、社会を新たにつくる担い手の創出を目ざすシティズンシップ(市民性)教育とも結び付けて、考えられ始めているのである。
現代の環境教育は、学校だけでなく、社会においても取り組むこと、また、青少年だけではなく、大人たちをも含めたすべての人々を対象にすること、さらには、現在だけではなく、未来を見通したものであることを要求している。いつでも、どこでも、だれでもが取り組まねばならない、全地球的構成員の教育課題になっているのである。
[池野範男]
『川合章編『産業と公害の学習』(1972・明治図書出版)』▽『梶哲夫・加藤章・寺沢正己編『公害問題と環境教育にどう取り組むか』(1973・明治図書出版)』▽『国民教育研究所編『公害学習の展開』(1975・草土文化)』▽『船橋市立船橋小学校著『環境教育と体験学習――身近な素材の教材化』(1986・東洋館出版)』▽『佐島群巳他編著『地球化時代の環境教育』全4巻(1992~93・国土社)』▽『佐島群巳他編『環境教育指導辞典』(1996・国土社)』▽『今村光章編『持続可能性に向けての環境教育』(2005・昭和堂)』