エコールポリテクニク(その他表記)École polytechnique

改訂新版 世界大百科事典 「エコールポリテクニク」の意味・わかりやすい解説

エコール・ポリテクニク
École polytechnique

理工科学校と訳す。フランスのエリート養成機関であるグランドゼコールgrandes écolesの一つ。フランス革命のさなか,1794年,旧体制下の土木学校や工兵学校を母体に,高級技術将校の養成を目ざしてパリ設立された。当初は〈公共事業中央学校École Centrale des Travaux Publics〉として開校,95年に改称。当時のフランスを代表する一流科学者たちが教授陣を構成し,各地から学力試験によって選抜され入学した青年たちを厳しく教育した。それまでの技術学校が実際的な技術知識の伝授に終始していたのに対し,エコール・ポリテクニクでは,工学の基礎学問としての数学物理学化学などが重視され,また図学の修得にも多くの時間が割かれた。歴代政府の強力な支援もあって,エコール・ポリテクニクにおける斬新な教育は多大の成果を上げ,そこから多くの優秀な科学者,技術者が輩出した。かくてエコール・ポリテクニクは,高等教育レベルでの科学技術教育のモデルとみなされ,諸外国教育制度に多大の影響を与えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エコールポリテクニク」の意味・わかりやすい解説

エコール・ポリテクニク
えこーるぽりてくにく
École Polytechnique

1794年フランス国民公会によってパリに設置された陸軍技術将校の養成機関であったが、現在ではフランス国防省所管の公務技術者養成の理工科大学校をいう。3年制で、大学とは別系統のエリート養成機関であるグランゼコールgrandes écolesの一つである。軍事技術、土木、建築、造船、地図製作、教職などあらゆる公務に従事する技術者に体系的な科学教育を施す世界で初めての学校として、科学史・教育史上で果たした先進的役割は大きかった。入学はグランゼコールのうちの最難関といわれ、受験生はバカロレア(大学入学資格)を取得したのち、約2年間の準備教育を受け、さらに厳しい入学試験に合格しなければならない。したがって、多くの優秀な科学者や技術者を輩出し、官界ばかりでなく、民間企業のエリート層に卒業生の占める比率はきわめて高い。1972年からは女子にも開放されるようになった。

[喜多村和之]

『門前貞三著『フランスの学校』(沖原豊編『世界の学校』所収・1981・有信堂)』

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百科事典マイペディア 「エコールポリテクニク」の意味・わかりやすい解説

エコール・ポリテクニク

理工科学校とも。フランスのエリート養成機関の一つ。フランス革命中の1794年に高級技術将校養成の目的で公共事業中央学校として設立,翌1795年に改称。単なる技術知識の伝授ではなく,工学の基礎学問としての数学,物理学,化学などの教授を重視したことが特色で,工学教育のモデルとなった。数学のコーシーポアンカレ,物理学のカルノーなどの人材を輩出。
→関連項目学閥カルノーパリベルトレ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エコールポリテクニク」の意味・わかりやすい解説

エコール・ポリテクニク
École Polytechnique

フランスの国防省所轄下にある高等理工科専門学校。グランゼコールの一つ。当初パリに置かれ,1976年にパレゾーに移転。 1794年国民議会において,ラザール・カルノーとガスパール・モンジュの提唱のもとに,国立中央職業学校として創設され,科学知識の向上と軍隊内の技術者の養成を目指した。当時のフランスの高等教育に共通の弊害とみられた極度に観念的かつ抽象的傾向に対する抵抗の意味で諸学芸 (ポリテクニク) の学校という呼称が用いられたが,翌 1795年これが正規の名称に採用された。かつては卒業生の大半が軍の将校となったが,今日では多くが政財界に進んでいる。数学,機械工学,物理学,化学などの専門分野をおく。 (→士官学校 )

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世界大百科事典(旧版)内のエコールポリテクニクの言及

【科学教育】より

…19世紀前半は中等・高等教育機関の中に自然科学の教育が徐々に浸透していった時期ということができる。優れた科学者を集めた世界最初の専門科学教育機関といえば,フランス大革命中の1794年に発足したエコール・ポリテクニクÉcole polytechniqueであるし,大学に初めて実験室を設けて実験室教授法をとり入れたのはドイツのギーセン大学のリービヒであった(1825)。 そして,19世紀半ばごろになると,イギリスでも科学技術の教育が産業技術の発展,ひいては一国の繁栄に少なからぬ役割を果たすことが認められるようになって,全学校教育の全面的再編成が始まることになった。…

【科学教育】より

…19世紀前半は中等・高等教育機関の中に自然科学の教育が徐々に浸透していった時期ということができる。優れた科学者を集めた世界最初の専門科学教育機関といえば,フランス大革命中の1794年に発足したエコール・ポリテクニクÉcole polytechniqueであるし,大学に初めて実験室を設けて実験室教授法をとり入れたのはドイツのギーセン大学のリービヒであった(1825)。 そして,19世紀半ばごろになると,イギリスでも科学技術の教育が産業技術の発展,ひいては一国の繁栄に少なからぬ役割を果たすことが認められるようになって,全学校教育の全面的再編成が始まることになった。…

【技術教育】より

…これは,すぐれた科学者の手で労働者たちに数学,自然科学の諸部門,技術の原理や応用を教える運動で,19世紀半ばには上流階級の反対で急速に消滅したが,のちの技術教育機関の萌芽となり,アメリカにも大きな影響を及ぼした。フランスでは,大革命の少し前から軍隊内の技術将校養成などの技術教育施設が生まれていたが,大革命の過程でG.モンジュらの指導するエコール・ポリテクニクが創立された。ここでは,数学,製図,自然科学の系統的な基礎教育のうえに土木,機械学等の高い水準の技術学が教授され,その卒業生から優れた科学者,技術者,技術将校が生まれた。…

【グランドゼコール】より

…3年制。 エコール・ポリテクニク(当該項目参照) 国立橋梁土木学校École nationale des ponts et chaussées(通称ポンゼ・ショセ)橋梁・土木の技術者養成のため,1747年パリに設立。現在では建設,都市計画,国土整備,交通の分野にも進出。…

【工学】より

…近代国家を建設・整備し,産業革命を遂行するには,高度で体系的な知識をもった技術者が必要とされたからであった。このような動きを如実に反映し,また近代工学の理念を確立したことによって19世紀から現代に至る理工学教育の発展に決定的な影響を与えたのは,1794年,パリに設立されたエコール・ポリテクニク(理工科学校)であった。当時,フランスは革命のただなかにあったが,革命政府は内外の困難な状況に対処し,さらに革命の理念に基づく新しい社会を建設するという課題に直面していた。…

【土木技術】より

…その背景には,築城術,軍用道路の建設など,近世国家の重要な基盤であった軍事技術のかなりの部分が土木技術に負うところが大きかったことがあげられる。フランスでは工兵士官養成や軍事技術の研究のために1747年土木工学校が,さらに,94年にはエコール・ポリテクニクが創立され,土木技術の組織的な教育が始まった。このように土木技術は軍事技術の一翼として発達してきたが,一方ではそれらとは異なる橋,運河,治水,道路舗装など,産業,市民生活と密着した分野へもその成果がとり込まれるようになり,1750年ころから,イギリスにおいてこれら市民生活の基盤を形成する土木技術に対してcivil engineering(土木工学)のことばが用いられるようになった。…

※「エコールポリテクニク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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