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エピクテトス エピクテトスEpiktētos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エピクテトス
Epiktētos

[生]50頃.フリュギアヒエラポリス
[没]?
ストア派の哲学者。初めネロの重臣の奴隷,解放されてからドミチアヌス帝による哲学者追放までローマで哲学を講じ,のちニコポリスにおもむく。弟子アリアノスによる『談話集』と『提要』があり,マルクスアウレリウスらに影響を与えた。その学説は初期ストア派にほぼ同じで,さまざまな専門的知識や技術,神の摂理,現世の苦痛に対する無関心と,人間として必要な哲学の意義を説き,人みな神の子という立場から博愛主義を唱えた。その哲学は意志の哲学であり,自己の支配能力が及ぶ意志的活動と,その権能外にある社会的なものとの区別を心得て,一切の苦悩から自由となり心の内に平静を獲得することをすすめている。

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デジタル大辞泉の解説

エピクテトス(Epiktētos)

[55ころ~135ころ]ストア学派の哲学者。奴隷であったが、のちに解放された。理性的な意志の力によって不動の心境(アパテイア)に達すべきことを説いた。死後に弟子が講義集録「綱要」などをまとめた。

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百科事典マイペディアの解説

エピクテトス

ストア学派ギリシア人哲学者。もと解放奴隷で,師はムソニウス・ルフスMusonius Rufus。《語録》と《箴言》が残り,意志を離れてはすべてが善悪無記であること,理性による不動心の獲得などを説いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

エピクテトス【Epiktētos】

55ころ‐135ころ
ローマ期のギリシア人哲学者。古代ストア学派の哲学を伝える数少ない断片を残している。奴隷の子として成長したが,向学心があったため,主人は当時の有名なストア哲学者ムソニウス・ルフスMusonius Rufusのもとに弟子入りさせ,後に解放してやった。初めローマで哲学を講じていたが,86年ドミティアヌス帝の哲学者追放令によってギリシアのニコポリスに行き,そこで教団を開いて生涯を終えた。生涯,著作を書かなかったが,弟子のアリアヌスが師の言行を伝える《語録》と《箴言》を残している。

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大辞林 第三版の解説

エピクテトス【Epiktētos】

55頃~135頃) 古代ローマの思想家。奴隷であったが解放され、ローマでストア哲学を多くの弟子に教えた。死後その教えは弟子のアリアノスによって「語録」「要訣」にまとめられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エピクテトス
えぴくてとす
Epikttos
(50?―138?)

ローマ帝政時代のストア哲学者。小アジアのフリギアの生まれ。ローマの奴隷の身分でありながらストア哲学を学び、のちに解放された。90年ごろギリシア西海岸のニコポリスに移り、学校を創設した。著作はなく、弟子アリアノスLucius Flavius Arrianus(87―145)の筆録した『語録』Diatribaiと、それを要約した『ハンドブック』Encheiridionが残存する。エピクテトスの立場をもっともよく表すのが「忍耐せよ、断念せよ」という標語である。「われわれのものと、われわれのものに非(あら)ざるものとがある」と彼はいう。われわれの判断や欲望や行為はわれわれの自由になるが、身体、財産、名声、権力などは必然によって支配され、われわれの力ではどうにもならないものである。このありのままの「自然」を認識し、われわれの意志をそれに一致させるための修練が哲学である。かくして、「私は神とともに選び、ともに欲し、ともに意志する」と唱えた。彼の影響は、同じストア学派のマルクス・アウレリウスをはじめ、キリスト教の教父たちや、近世のパスカルなどにまで及んでいる。[田中享英]

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