エルツベルガー(その他表記)Matthias Erzberger

改訂新版 世界大百科事典 「エルツベルガー」の意味・わかりやすい解説

エルツベルガー
Matthias Erzberger
生没年:1875-1921

ドイツ政治家中央党指導者。国会議員(1903-21)。1906年植民地政策批判で一躍盛名を得,また09年帝国財政改革に関与し成功をおさめた。第1次世界大戦の冒頭には侵略的な戦争目的を標榜したが,17年突如国会に和平決議を提案し可決成立させた。大戦末期マックス内閣に無任所相として入閣し,また全権代表として休戦協定に署名した。大戦後蔵相として戦時公債の処理にあたり,新税制を確立した。優れた先見性と行動力を有し,財政家としても非凡であったが,すばやい変身と策謀の巧妙さゆえに敵対者を生み,特に右翼憎しみをかって暗殺された。キリスト教労働運動と緊密な関係にあったことから中央党左派と称されるが,不平等選挙制の改革等の政治的民主化を常に支持したとはいえない。あくまでも宗教政党としての中央党の追求する目的を追いながら,その手法に時代に適した斬新さがあったと理解されるべきである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルツベルガー」の意味・わかりやすい解説

エルツベルガー
えるつべるがー
Matthias Erzberger
(1875―1921)

ドイツの政治家。カトリック中央党に属し、1903年以来、帝国議会議員。1906年ドイツの植民地行政を攻撃して名をあげ、党の有力者となった。第一次世界大戦前半は併合論者であったが、のちに和解の平和路線に転じ、1917年議会で平和決議を出した。帝政最後のバーデン内閣に入閣、休戦協定に調印。その後蔵相として、税制改革、中央政府の強化に努めた。反共和派の政敵ヘルフェリヒから公私混同を批判され、1920年3月ヘルフェリヒとの裁判において不利な判決を受けたため、一時政界から退いた。のちに復帰を企図したが、エルツベルガーは敗戦と共和国の象徴として、国粋派から憎まれ、1921年8月26日右翼テロリストに暗殺された。

[木村靖二]

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百科事典マイペディア 「エルツベルガー」の意味・わかりやすい解説

エルツベルガー

ドイツの政治家。中央党左派を指導。第1次大戦の初めは軍部と協力したが,1917年帝国議会平和決議を成立させ,休戦条約には閣僚として出席。ワイマール共和国の最も有能な政治家の一人として財政安定に努力したが,極右派に暗殺された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルツベルガー」の意味・わかりやすい解説

エルツベルガー
Erzberger, Matthias

[生]1875.9.20. ウュルテンベルク,ブッテンハウゼン
[没]1921.8.26. シュワルツワルト,バートグリースバハ
ドイツの政治家。 1903年国会議員となり,中央党左派を率いて政府の植民地政策,戦争政策に反対,17年に議会で第1次世界大戦の休戦決議を成立させ,休戦委員会議長として,コンピエーヌの森で休戦条約に調印。副首相,蔵相として戦後の財政再建に奔走したが右翼のテロに倒れた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エルツベルガー」の解説

エルツベルガー
Matthias Erzberger

1875~1921

ドイツの政治家。中央党左派として頭角を現わす。第一次世界大戦では当初大併合計画を擁護したが,1917年国会平和決議を主導,18年休戦条約に調印。戦後財政相として税制を改革,また履行政策を推進し,極右に暗殺された。

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