ロシア・ソビエトの詩人、作家。キエフ(現、キーウ)のユダヤ人の家庭に生まれモスクワで成長した。15歳でボリシェビキの地下運動に参加、17歳で逮捕され、18歳でパリへ亡命。モンパルナスのカフェ「ロトンド」に集まるボヘミアン芸術家と親交を結び、第一詩集『詩篇(しへん)』(1910)を刊行。祖国の革命の報に接し急ぎ帰国したが、たちまち国内戦の渦に巻き込まれ、ようやく1920年にモスクワへ戻った。ロシア革命の現実になかば幻滅し、翌1921年、ふたたび新聞の特派員としてパリへ赴く。しかし、まもなく追放され、ベルギーで初の長編『フリオ・フレニトの奇妙な遍歴』(1922)を書く。資本主義世界を風刺的手法で暴き、初期エレンブルグ独特のシニカルな筆致が目だつ作品だが、晩年に至るまで作者はひそかな愛着を覚えていたようだ。その後もベルリンで『トラストDE、ヨーロッパ滅亡史』(1922)、『13本のパイプ』(1923)などを発表、作家としての地位を確立した。しかし、『第二の日』『息もつかずに』(ともに1934)を書くまでは社会主義ロシアの作家としての自覚に欠けていたようにみえる。1936年、スペイン内戦に際し、旧ソ連当局の許可も得ずにパリからマドリードへ飛び、人民戦線に投じた。この間の事情は『パリ陥落』(1942)および回想録に詳しい。第二次世界大戦中は反ファシストの闘士として新聞紙上に健筆を振るった。評論集『戦争』(1944)はその成果である。戦後は『あらし』(1947)、『第九の波』(1951)など国際政治を舞台にした長編を発表。旧ソ連政府の西欧へのスポークスマン的な役割をも果たした。スターリン死後、中編『雪どけ』(1954)を発表、旧ソ連社会の自由への息吹をいち早く伝えた。晩年は回想録『人間・歳月・生活』(1960~1965)を書き、旧ソ連知識人の精神史の空白を埋め、20世紀の貴重な証言となった。
[木村 浩]
『工藤精一郎訳『フリオ・フレニトの遍歴』(1969・集英社)』▽『工藤精一郎訳『パリ陥落』全3巻(新潮文庫)』▽『木村浩訳『わが回想 人間・歳月・生活』全6巻(1961~66・朝日新聞社)』
ロシア,ソ連邦の詩人,作家。キエフのユダヤ人家庭に生まれ,少年時代をモスクワで送った。15歳のときボリシェビキの地下運動に参加,17歳で逮捕され,翌年パリへ亡命。1910年に処女詩集《詩篇》を刊行,パリのモンパルナスのカフェ〈ロトンド〉にたむろするボヘミアン芸術家たちと親交を結ぶ。革命の報をきいて,9年間のパリ生活から帰国,ウクライナで国内戦の渦にまきこまれた。20年にようやくモスクワへ出,革命の現実をまのあたりにする。21年再び新聞社の特派員としてパリへ戻るが,まもなく追放され,ベルギーで最初の長編《フリオ・フレニトの奇妙な遍歴》(1922)を書いた。鋭い風刺で資本主義の世界を描いているが,その立場は傍観者的で,きわめてシニカルである。その後もベルリンで《トラストD.E.,ヨーロッパの滅亡史》(1923)を一種SF的手法で書いた。しかし,34年に《第二の日》を発表,ようやくソ連邦作家としての自己の立場を明らかにした。スペイン内戦に際しては,ソ連邦当局の同意をえぬままスペインへおもむき,人民戦線に投じた。この間の事情は《パリ陥落》(1942)となって文学的に結実した。第2次大戦では徹底した反ファシストの立場にたち,論文集《戦争》(1944)を発表,ナチスのゲッベルスの宣伝に反論した。戦後も《あらし》(1947),《第九の波》など長編を次々に発表,ソ連邦の立場を擁護した。その一方,純粋な芸術家として《作家の仕事について》で社会主義リアリズムの枠を広げようとしたり,中編《雪どけ》ではスターリン死後のソビエト社会の自由へのいぶきを敏感に描いた。しかし,これらの仕事は当局からきびしく批判された。晩年は回想録《人間・歳月・生活》(1960-65)を書き,ソ連邦知識人の精神史ともいうべき貴重な証言をのこした。文字どおり,革命と戦争の20世紀を生きぬいた人物である。
執筆者:木村 浩
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… そして翌35年,これらフランス知識人はファシズムに対する文化の擁護を訴え,6月パリに24ヵ国230名の文学者を集め,第1回〈文化擁護国際作家会議〉を開催する。外国からの参加者には,ハインリッヒ・マン,ブレヒト,ムージル,ゼーガース,ハクスリー,バーベリ,エレンブルグらがいた。〈作家会議〉は,翌年ロンドンで書記局総会,37年7月内戦下のマドリードとパリで第2回大会を開催し,さらにネルーダ,スペンダー,オーデンらの参加をみた。…
…ロシア・ソ連邦の作家エレンブルグの中編小説《雪どけOttepel’》(1954)から生まれた言葉で,主としてソ連における緊張緩和政策を意味する世界語となっている。エレンブルグの小説はスターリン死後のソ連社会に訪れたささやかな変化を鋭敏にとらえ,人びとの生活感情を的確に表現した作品である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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