改訂新版 世界大百科事典 「エンコミエンダ」の意味・わかりやすい解説
エンコミエンダ
encomienda
スペインの新大陸植民地における初期の先住民統治制度。原義はスペイン語で〈信託〉。王権が一定地域の先住民に関する権利と義務を私人に信託する。権利とは貢租賦役を課する権利であり,義務とは彼らを保護しキリスト教に改宗させる義務である。信託を受けた個人をエンコメンデロencomenderoと称し,多くはコンキスタドール(征服功労者)であった。信託地域は広義の所領を構成するが,住民の身分はスペイン国王の自由な臣民であって,奴隷でも農奴でもない。中世領主制と截然と異なる点は,(1)世襲権のあいまいである点,(2)裁判権が信託されない点である。遠隔の地に突然大領域を獲得したスペイン王権にとって,これを確保するための道具は,すでに自腹を切って渡航している武装集団,すなわち征服者たちしかなかった。エンコミエンダ制はこれを活用すべく採択された急場しのぎの策であり,1503年3月および12月の国王命令に基づき,インディアス統治官オバンドNicolás de Ovandoによって制度化,09年の国王政令によって追認,12年のブルゴス法で細則が定められた。この間,西インド諸島先住民は急速に絶滅に向かい,エンコミエンダ制は一時自然消滅するかに見えたが,21年のメキシコ征服後,コルテスが部下に多数の先住民を分配したため,大陸部においてより大きな規模で展開することになった。
エンコメンデロの数は,メキシコ,ペルー各500人ほどにすぎず,そのほとんど全部が征服後数年のうちに分配を受けたものである。貢租収入は年額数百ないし数千ペソ,ごく少数が1万の大台に乗った。エンコミエンダは貢租賦役徴収権の信託であり,それ自体土地所有権を含むものではない。また実際,先住民人口の稠密なうちは土地の入手は難しかったため,エンコメンデロが自ら農園を営んだ例は当初は少なく,賦役の実態は,先住民を征服戦争に従軍させるか,奴婢,荷担ぎ人夫として用いるか,都市での邸宅・家作の建築作業,あるいは砂金採取,糸紡ぎ,機織り等非農牧生産に用いるのが主であった。
16世紀半ばにエンコミエンダの没落がはじまる。エンコメンデロは封建領主の世襲身分を獲得したものと自ら任じていたが,スペイン絶対王権は,俸給制に基づく官吏によって新大陸を統治できる見通しがつくと,直ちにこの制度の撤回に着手する。これを思想面で補強したのが,ラス・カサスをはじめとするスペインの修道士,知識人の間に急速に広まった先住民保護の動きであり,彼らは先住民の大量死の元兇としてエンコミエンダ制を指弾した。1542年のインディアス新法(インディアス法)がその結実であり,その撤回後,49年にあらためて私賦役を禁じ,次いで保有者が死ぬごとに各個撃破で信託権を没収していった。このころ先住民人口はいよいよ減少し,人頭税たる貢租に依存するエンコメンデロの経済力は衰え,その徴収業務も王の官吏の手に移り,エンコメンデロは一定額を受納するだけの,年金生活者のような存在になりさがってゆく。ただし没落の進行は地域により差があり,帝国周縁部ではかなり後まで実力を保持した。
執筆者:高橋 均
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報