スペイン人聖職者,歴史家。インディオの自由と生存権を守るために精力的に活動した。1502年カリブ海のイスパニオラ島へ伝道師として渡る。インディオの改宗に従事する一方,従軍司祭として征服に参加し,褒賞としてイスパニオラ島のシバオでインディオの割当て(エンコミエンダ)を受けた。のちキューバ島へ移り,同島でもエンコミエンダを受領し,彼自身の言によると,この時期,布教活動より世俗的利益の追求に専念した。14年6月,総督ディエゴ・ベラスケスより依頼されたミサの準備中,インディオに加えられている不正に気づき,自己のエンコミエンダのインディオを解放。これはラス・カサスの〈第1回目の回心〉といわれる。
回心以後,すでに1511年からインディオに対するスペイン人の虐待を厳しく糾弾していたイスパニオラ島のドミニコ会士たちと接触し,数々の改善策を王室に献じた。その中で黒人奴隷の導入を勧告したが,これはずっとのちに反省,撤回した。19年にはスペイン人農夫,兵士およびインディオの共存共栄を目的とする植民案を国王に提出し,翌20年から21年にかけてクマナ地方(現,ベネズエラ北岸)で計画を実行に移すが,難破,農夫の逃亡,兵士の離散など悪条件が重なり,計画は完全に失敗した。のち,イスパニオラ島のドミニコ会修道院に入り,24年ドミニコ会修道士となる(〈第2回目の回心〉)。以後30年まで俗界から身を避け,修道院で瞑想と研究の生活を送る。この時期は法学および神学理論に基づいて征服戦争やエンコミエンダ制を批判するための準備段階であったといえる。この間にインディオの改宗は武力に頼らない平和的なものでなければならないことを論じた《すべての人々を真の信仰へ導く唯一の方法》と,のち《インディアス史Historia de las Indias》と《弁明的史論》に二分される史書の執筆を始めた。37年から39年にかけてグアテマラの一地方で平和的改宗計画を実施し成功を収める。
40年中葉,伝道師の派遣とインディアスの状況の抜本的改善を求めるべくスペインへ帰る。このとき,国王に征服の不当性を明らかにし,その即時中止を訴える報告書を提出。コンキスタドールの非道な行為を弾劾するこの文書は,52年に印刷される《インディアスの破壊についての簡潔な報告》の母体となり,のちヨーロッパ諸国によってスペインを非難する〈黒い伝説〉に利用される。1542年に〈新法〉(インディアス法)が発布され,みずからもチアパス(現,メキシコ南部)の司教に叙階され,44年インディアスへ渡るが,コンキスタドール,植民者や植民地当局の激しい敵意を受け,結局47年,自己の活動の場を宮廷と定め,生涯で7回目の大西洋横断をしてスペインへ帰る。以後スペインにおいてインディオ擁護の運動に携わる。その間50-51年には当代随一のアリストテレス学者で征服を正当と考えるセプルベダJuan Ginés de Sepúlvedaと激しい論戦(バリャドリード論戦)を行う。晩年は《インディアス史》の編纂に力を注ぐ一方,政治哲学的作品を執筆し,インディアスにおけるスペイン国王の支配を鋭く批判した。しかし,台頭しつつあった帝国主義政策によって彼の理論は抹殺された。
ラス・カサスに対する評価は二分され,〈インディアスの使徒〉と高く評価される一方,〈黒い伝説〉誕生の責任者として非難される。いずれにせよ,ヨーロッパ人の征服行為に絶対的な不正をみてとり,被征服民族の人間としての権利を擁護しつづけたラス・カサスは,S.ボリーバルらラテン・アメリカの独立運動を進めた人々やインディヘニスモの推進者に影響を与え,今日も大きな歴史的価値をもっている。
→黒い伝説
執筆者:染田 秀藤
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スペインの「新大陸」征服にあたって、先住民インディオの奴隷化に反対し、その権利擁護に献身した修道士。セビーリャの商人の子に生まれ、1502年のイスパニョーラ島遠征に参加した。13年には従軍司祭としてキューバ征服に参加、エンコミエンダ(先住民統治使役権)を与えられた。しかし、スペイン人による先住民酷使の惨状を目にして15年帰国、国王にインディオ救済を訴えた。20~22年にはベネズエラに酷使なき理想植民地の建設を試みたが失敗、ドミニコ会修道院に入り、27年から『インディアス史』などの執筆に取り組んだ。
1531年ごろから実践活動も再開、34~40年に中央アメリカ地域に平和的教化植民地を建設したのち、40年に帰国した。42年には新大陸におけるスペイン人の悪業の数々を告発した報告書を国王カルロス1世(カール5世)に提出し、ついに同年末、エンコミエンダ制の漸次廃止や先住民の奴隷化禁止などを明記した「新法」制定に成功した。44年メキシコ南部のチアパス地方の司教に任命されたが、植民地スペイン人の猛反対を受けた国王が「新法」の骨抜きを宣言したので、47年帰国し、以後本国でインディオの自由擁護に努めた。彼のスペイン人批判は反スペイン・反カトリック勢力にも利用され、いわゆる「黒い伝説」の根拠とされた。
[野田 隆]
『B・ラス・カサス著、染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)』▽『B・ラス・カサス著、石原保徳訳『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(1987・現代企画室)』
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1474~1566
スペイン,ドミニコ修道会の修道士。16世紀前半,スペインのアメリカ大陸征服,植民の法的根拠について行われた論争のなかで最もラディカルな立場に立ってエンコミエンダ制の批判を展開し,「インディオ擁護者」の称号を王室から与えられて,その植民地政策に大きな影響を与えた。その著『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(1553年)は全ヨーロッパ的な反響を呼び,スペイン人の残虐性に関する「黒い伝説」発生の一因となった。
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…新大陸の西欧的開発は原住民を犠牲にして遂行された。その初期におけるこの運動の担い手は,主としてラス・カサスらの宗教関係者であった。独立後,イギリスの主導のもとに,資本主義経済が発展し,原住民共同体の破壊が進行したが,特に19世紀末,欧米諸国の強烈な資本進出が始まって以来,事態はきわめて深刻なものとなった。…
…エンコメンデロは封建領主の世襲身分を獲得したものと自ら任じていたが,スペイン絶対王権は,俸給制に基づく官吏によって新大陸を統治できる見通しがつくと,直ちにこの制度の撤回に着手する。これを思想面で補強したのが,ラス・カサスをはじめとするスペインの修道士,知識人の間に急速に広まった先住民保護の動きであり,彼らは先住民の大量死の元兇としてエンコミエンダ制を指弾した。1542年のインディアス新法(インディアス法)がその結実であり,その撤回後,49年にあらためて私賦役を禁じ,次いで保有者が死ぬごとに各個撃破で信託権を没収していった。…
…1520年にマンサレス川の河口に建設された南米最古のスペイン都市で,1569年までヌエバ・コルドバと呼ばれた。植民地時代は砂糖,コーヒーなどの熱帯性農産物が生産され,またラス・カサスが1521年にここでキリスト教に基づいた原住民の理想社会を建設しようとした。今日では,水産加工業が進出し,沖合のマルガリータ島の諸都市とともにベネズエラ漁業を担っている。…
…とくにハプスブルク朝下のスペインの覇権に敵意をもつ国々は,異端審問にみられる宗教的不寛容と残虐な拷問,およびインディアスの征服におけるコンキスタドールの非道な行為を口実に反スペイン運動を展開し,〈黒い伝説〉を作り上げた。そのなかで1552年セビリャで出版されたラス・カサスの《インディアスの破壊についての簡潔な報告》は著者の意図とはかけ離れて,スペイン人によるスペイン人告発の書として〈黒い伝説〉のなかで大いに利用された。〈伝説〉は19世紀初頭スペインからの独立を目指すイスパノ・アメリカでも,政治的に利用された。…
…太平洋岸の外港サリナ・クルスへの鉄道建設,メキシコ市からオアハカを経てグアテマラに通ずる国際高速道路の建設が進み,交通の要衝でもある。チアパスChiapas州は16世紀にドミニコ会により宣教・植民され,ラス・カサスも司教に任ぜられている。グアテマラと国境を接する同州はメキシコにおいてもインディオ人口の多い地域として知られる。…
…コロンブスに西航を決意させた海図を提供したことで知られる。コロンブス一家と交際があり,コロンブスの遺品の一部を譲り受けたスペイン人ラス・カサスの《インディアス史》(1552‐61)第1巻に,トスカネリのコロンブスあて書簡2通(日付なし)が収められており,1通は1474年のマルティネスF.Martines(ポルトガル顧問官)あて書簡と同文であるが,キサイ(杭州)をリスボンの西1625レグア(約9000km。当時算定の地球全周値の1/3)の所にあると見積もり,そのことを示す海図を添えると書かれている。…
※「ラスカサス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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