ワイマール共和国の初代大統領(在任1919~1925)。仕立屋の息子としてハイデルベルクに生まれ、馬具職人の修業を積み、1889年、社会民主党に入党、実務家としての手腕を買われて、1905年党執行部書記、1912年以降帝国議会議員となり、1913年にはベーベルの死後、ハーゼと並んで党議長に選ばれた。第一次世界大戦では政府、軍部に妥協する「城内平和」Burgfriedeを積極的に推進、1918年11月のドイツ革命ではハーゼらと人民代表評議会を組織したが、グレーナーら軍部の勢力と結んで革命派を退け、1919年国民議会によって大統領に選ばれ、内外の困難な事態の処理にあたった。しかし右翼の中傷による裁判事件の疲労も加わり、1925年2月28日、任期満了の直前、死亡した。
[松 俊夫]
ドイツの解剖学・病理学者。チフス菌の発見者。ウュルツブルクに生まれ、ウュルツブルク大学を卒業。スイスのチューリヒ大学解剖学・病理学助教授となり、1869年教授に昇進。1874年チューリヒ獣医科大学の病理学・組織学・進化論教授。1881年からドイツのハレ大学の比較解剖学・組織学・進化論教授、1911年同大学名誉教授となった。1880年、腸チフス死体23例のうち、12例の脾臓(ひぞう)と腸間膜リンパ腺(せん)に特定の細菌を発見し、翌1881年同じ所見を確認して腸チフス病原菌として発表した。
[藤野恒三郎 2018年6月19日]
ドイツの考古学者。ベルリン大学で学び、ベルリン国立博物館、ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)、リガ大学を経て、1927年にコッシナGustaf Kossina(1858―1931)の後任としてベルリン大学教授となる。バルト海沿岸地方などの先史時代を研究したが、もっとも大きな業績は『先史学大事典』(1924~1932)の編集・刊行事業で、全ヨーロッパの学者を動員したこの大事典は、以後の考古学研究の基礎を築くものであった。
[寺島孝一]
ドイツのワイマール共和国初代大統領。在任1919-25年。1889年社会民主党に入党,馬具職工組合で活躍。ブレーメンで党新聞編集者,市会議員,組合役員の経験を積む。1905年党中央幹部会書記に選ばれ,13年ハーゼと並ぶ党議長に就任。精力的な実務家で改良派として知られ,党機構の整備,中央集権化,左派の排除を推進。第1次世界大戦に際しては,戦争協力と労働者の地位向上をめざす城内平和路線をとる。17年の党分裂後は多数派を率い,革命期の人民委員会政府の中心に立ち,軍部と結び急進左派やレーテ運動を抑圧。19年国民議会により大統領に選出され,共和国の確立に尽力。25年盲腸炎で急死。晩年は右翼からの中傷にあった。
執筆者:山本 秀行
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1871~1925
ヴァイマル共和国の初代大統領(在任1919~25)。若くして社会民主党の活動に加わり1905年以来党幹部会員,13年党首となった。18年ドイツ革命勃発とともに最後のドイツ帝国宰相,つづいて革命臨時政府の指導者となり,旧体制と妥協しつつ革命派を鎮圧し,共和国のその後の発展に決定的役割を演じた。19年2月のヴァイマル国民議会で大統領に選出,任期はその後25年までとされたが,満了の前に急死。
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…ベルリンで革命の中心となったのは,革命的オプロイテ,スパルタクス派等の反戦諸派で,労働者評議会の議長には前者のミュラーが選出された。これに対して,エーベルト,シャイデマンら社会民主党指導部は,下からの革命の動きを抑え切れないと見てとると,同党と労働組合の組織力に支えられつつ,〈共和国〉と〈団結〉を合言葉に,兵士の支持をも得て主導権を握り,両社会民主党の連立政権(エーベルト,ハーゼを中心とする〈人民委員評議会〉)を成立させた。 労働者・兵士の革命に直面して,軍部は,社会民主党と結んでこれを抑えようとし(11月10日のエーベルト=グレーナー協定),産業界は,労働組合と結んで資本主義体制の維持と経済政策への発言権の確保をはかった(11月15日のシュティンネス=レギーン協定)。…
…とくに南ドイツでは,農民層の獲得や自由主義政党との協力の必要がフォルマルらによって主張され,自由労働組合も労働者の地位向上に成果をあげるにつれ改良主義に徹していった。1906年には組合が党と対等の発言権をもつに至り,同じころ,エーベルトのような社会主義者鎮圧法後の世代が要職につくとともに党組織の官僚化が進んだ。理論の次元でも,世紀の変り目ごろ,ベルンシュタインが漸進的社会主義を唱えて党是のマルクス主義に修正を加えようとした(修正主義)。…
※「エーベルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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