ハーゼ(読み)はーぜ(英語表記)Hugo Haase

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーゼ」の意味・わかりやすい解説

ハーゼ
はーぜ
Hugo Haase
(1863―1919)

ドイツ社会民主党政治家アレンシュタイン(現オルシュチン)に生まれ、弁護士として活動後、東プロイセンの社会民主党の指導者となる。1911年同党議長、1912年帝国議会議員となり、同党のマルクス主義中央派に属した。1914年の第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)の際、防衛戦争見地から党を代表して戦時公債に賛成する演説を行ったが、のちに戦争の続行反対して党を除名された。1917年4月、独立社会民主党を結成して議長に就任した。1918年11月、ドイツ革命に際しエーベルトとともに人民代表評議会を組織したが、12月に社会民主党と対立して辞任。1919年国民議会議員となったが、同年反動派の狙撃(そげき)を受け、11月17日死亡。

[松 俊夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「ハーゼ」の意味・わかりやすい解説

ハーゼ
Hugo Haase
生没年:1863-1919

ドイツ社会民主党の指導者。靴職人息子として東プロイセンに生まれる。1880年代末に入党,90年弁護士を開業,同地方の労働運動に弁護活動を通して大きく寄与した。党内では左派に属し,帝国議会議員としても活躍。第1次世界大戦勃発に際しては,議員団議長としてしぶしぶ党の戦時公債承認の立場を説明した。1917年,独立社会民主党創立に参加,その党首となり,ドイツ革命では人民代表委員政府一員として変革を推進しようとしたが,共産党には批判的だった。19年精神病者の凶弾に倒れた。
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朝日日本歴史人物事典 「ハーゼ」の解説

ハーゼ

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:1868.2.7
明治期のお雇い外国人。ドイツの製鉄技術者。シレジア(現ポーランド領)のタルノヴィツ郡のノイデック出身。ベルリンの鉱山専門学校に学び,1896年ボッフム製鉄所に就職。明治30(1897)年,官営八幡製鉄所の建設工事が始まると,技術指導のためドイツから技師,熟練工十数人が招かれたが,ハーゼも製銑部主任技師として来日。在任は明治33年6月から35年4月まで。『鎔鉱職心得』という作業操典を作って,製鉄作業の教育に貢献した。ドイツ人の雇用は,日本人との感情的対立もあって失敗したが,ハーゼのみは例外で,勲章も授けられた。<参考文献>三枝博音・飯田賢一編『日本近代製鉄技術発達史―八幡製鉄所の確立過程―』

(中井晶夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーゼ」の意味・わかりやすい解説

ハーゼ
Haase, Hugo

[生]1863.9.29. 東プロシア,アーレンシュタイン
[没]1919.11.7. ベルリン
ドイツの政治家,社会主義者。 1897年から帝国議会議員。ドイツ社会民主党に所属し,A.ベーベルと並ぶ最高指導者の一人であった。 1915年には政府の戦争政策に反対して休戦を要求し,16年社会民主党を去って,翌 17年独立社会民主党を創設。 18年 F.エーベルトの臨時革命政府に加わったが保守派の圧力で追放され,19年反動派の軍人に暗殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハーゼ」の解説

ハーゼ Haase, Carl

1868-? ドイツの技術者。
1868年2月7日生まれ。明治33年(1900)官営八幡(やはた)製鉄所にまねかれ,製銑部主任技師として指導にあたる。35年帰国。

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