オノサトトシノブ

20世紀日本人名事典 「オノサトトシノブ」の解説

オノサト トシノブ

昭和期の洋画家



生年
明治45(1912)年6月8日

没年
昭和61(1986)年11月30日

出生地
長野県伊那郡飯田町(現・飯田市中央通)

出身地
群馬県桐生市

本名
小野里 利信(オノサト トシノブ)

主な受賞名〔年〕
日本国際美術展最優秀賞〔昭和38年〕「相似

経歴
津田青楓洋画塾に学び二科展出品、昭和10年初入選。12年自由美術家協会の創立に参加。このころから幾何学的構成による作品を追究した。第二次大戦でシベリア抑留を体験。戦後は、無所属となって仏教のマンダラを思わせる華麗な色彩抽象作品で独自の作風を確立した。「相似」で38年日本国際美術展の最優秀賞を受賞。ベネチアビエンナーレなど海外出品も多かった。のちアトリエを構えていた桐生市にオノサト・トシノブ美術館が開館。平成10年開館の須玉美術館にも多くの作品が常設される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オノサトトシノブ」の意味・わかりやすい解説

オノサト・トシノブ
おのさととしのぶ
(1912―1986)

画家。長野県飯田市に生まれる。本名小野里利信。10歳から群馬県桐生(きりゅう)市に住む。1931年(昭和6)津田青楓(せいふう)洋画塾に学び、35年二科展に初入選し、同志黒色洋画展を結成する。37年自由美術家協会の創立に参加し、純粋抽象画を制作(1956年退会)。第二次世界大戦に応召、シベリアに抑留され、48年(昭和23)帰国。56年「世界・今日の美術」展に出品、63年日本国際美術展で『相似』により最優秀賞を受ける。グッゲンハイム国際展、ベネチア・ビエンナーレ展ほか多くの海外展にも出品し、その抽象芸術は、高い評価を受ける。

[小倉忠夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「オノサトトシノブ」の意味・わかりやすい解説

オノサト・トシノブ【おのさととしのぶ】

画家。長野県飯田市生れ。本名小野里利信。青楓洋画塾に学ぶ。1935年グループ〈黒色〉結成。1937年自由美術家協会設立に参加。1942年応召,シベリア抑留をへて1948年帰国。1953年個展。1960年ころから円,矩形曼荼羅のように錯綜する幾何学的抽象を展開した。代表作に《黒白の丸》(1940年)などがある。1989年練馬区立美術館で回顧展。桐生市にオノサト・トシノブ美術館がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「オノサトトシノブ」の解説

オノサト トシノブ

1912-1986 昭和時代の洋画家。
明治45年6月8日生まれ。津田青楓(せいふう)の塾でまなぶ。昭和10年に二科展に初入選。12年自由美術家協会創立にくわわり,抽象画を制作。38年「相似」で日本国際美術展最優秀賞。昭和61年11月30日死去。74歳。長野県出身。本名は小野里利信。

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367日誕生日大事典 「オノサトトシノブ」の解説

オノサト・トシノブ

生年月日:1912年6月8日
昭和時代の洋画家
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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