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津田青楓 つだ せいふう

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美術人名辞典の解説

津田青楓

日本画・洋画家。京都生。名は亀治郎。谷口香嶠・竹川友広に日本画を、浅井忠・鹿子木孟郎に洋画を学ぶ。パリ留学後、文展・二科会等で活躍。また夏目漱石との親交を通じて良寛を知り、その書・和歌を研究、自らも良寛風の書・和歌を能くした。昭和53年(1978)歿、97才。

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デジタル大辞泉の解説

つだ‐せいふう【津田青楓】

[1880~1978]画家。京都の生まれ。本名、亀治郎。初め日本画、のち洋画を学ぶ。二科会の創立に参画。左翼運動に参加したのち、同会脱会とともに日本画に復帰して南画風の作品を描いた。随筆・詩・書などでも活躍。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

津田青楓 つだ-せいふう

1880-1978 明治-昭和時代の画家。
明治13年9月13日生まれ。西川一草亭(いっそうてい)の弟。関西美術院で浅井忠(ちゅう)らにまなぶ。大正3年二科会創立に参加,左翼運動にくわわり,昭和6年「ブルジョワ議会と民衆の生活」を出品,検挙される。のち転向して二科会を退会,日本画に転じた。昭和53年8月31日死去。97歳。京都出身。旧姓は西川。本名は亀治郎。

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大辞林 第三版の解説

つだせいふう【津田青楓】

1880~1978) 画家。京都出身。本名、亀治郎。日本画・洋画を学び、パリに留学後、二科会の創立に参画。左翼運動に共鳴後、洋画から日本画に転じる。夏目漱石や河上肇らと親交を結ぶ。著「老画家の一生」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

津田青楓
つだせいふう
(1880―1978)

画家。京都生まれ。生家西川家から母方の養子となって津田姓を嗣(つ)ぐ。竹川友広、谷口香(こうきょう)に日本画を学び、京都市立染織学校を経て、1899年(明治32)に浅井忠(ちゅう)の関西美術院に入る。京都高島屋図案部勤務ののち、1907年(明治40)から10年までパリに留学し、アカデミー・ジュリアンでジャン・ポール・ローランスに学ぶ。帰国後、夏目漱石(そうせき)に油絵を教え、14年(大正3)には二科会の創立に参加。翌15年、津田洋画塾を開いて京都画壇に一勢力をなした。その後しだいに左翼運動に近づき、31年(昭和6)の第18回二科展に『ブルジョワ議会と民衆の生活』を出品したが、33年の検挙後に転向して二科会を退会。以後はふたたび日本画に転じ、また良寛(りょうかん)研究に専念した。晩年は南画風の自由な作品に独特の情趣を示し、また絵画のほかにも、詩、書、短歌、装丁を手がけるなど、幅広い活動をみせた。[二階堂充]
『津田青楓著『老画家の一生』全二巻(1963・中央公論美術出版)』

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世界大百科事典内の津田青楓の言及

【明治・大正時代美術】より

…これらは黒田流文展系アカデミズムの平面的な描写=外光主義にあきて,新しい方向を求めていた青年画家たちに強い影響を与えるようになった。このころ斎藤与里(より)(1885‐1959),柳敬助(1881‐1923),津田青楓(1880‐1978),藤島武二,有島生馬,南薫造(くんぞう)(1883‐1950),山下新太郎(1881‐1966),石井柏亭(鶴三の実兄),斎藤豊作(とよさく)(1880‐1951),高村光太郎らが,フランス印象派の手法をたずさえて次々に帰国している。そして1910年高村光太郎が《スバル》に発表した論文《緑色の太陽》は,自然を見る人間の内面的な活動,人格(自我)の表現を主張し,わが国における印象派宣言として青年画家たちを狂喜させた。…

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