カサブランカ(モロッコの地名)(読み)かさぶらんか(英語表記)Casablanca

翻訳|Casablanca

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

カサブランカ(モロッコの地名)
かさぶらんか
Casablanca

北アフリカ、モロッコの大西洋岸にある港湾・商工業都市。首都ラバトの南西90キロメートルに位置する。人口294万0623(1994)、335万2399(2014推計)。モロッコ最大の都市で、「北アフリカのニューヨーク」とよばれる。

 古くはアンファンAnfanとよばれた港で、中世には海賊の根拠地であった。1468年イベリア半島からイスラム教徒を駆逐し、攻勢に転じたポルトガル軍によって占領、破壊されたが、1515年再建された。1789年スペイン商人がモロッコ産小麦の専売権を得てこの港を使用した際、アラビア語でダル・エル・ベイダDar el Baida(白い家)とよばれていたのをスペイン語訳し、カサブランカとしたのが市名の由来である。1907年フランス軍が占領、モロッコもフランスの保護領となり、リヨテ統監のもとカサブランカの都市計画と近代的港湾建設が進められた。植民地政策ではあったが、鉱産物農産物移出と港湾設備とが結合して飛躍的な発展を遂げ、タンジールを抜いて国内第一の港となり、人口も20世紀初頭の2万人が1945年には25万人になった。第二次世界大戦中フランスはドイツに敗れ、モロッコ統監のヌゴ将軍はビシー政権にくみしたので、連合軍は1942年11月8日から上陸作戦を開始し2日後占領した。翌43年1月14~24日、アメリカのF・D・ルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相両首脳がカサブランカ会談を行い、枢軸国が無条件降伏するまで戦うことを約した。モロッコ独立後の61年アフリカ急進諸国がここで首脳会議を開き、穏健諸国のモンロビア・グループに対してカサブランカ・グループとよばれた。独立後も人口集中が続いて61年100万人を突破し、70年代末には200万人を超える大都会となった。温和な気候に恵まれ、平野の真ん中に位置し、かつ海陸交通の要所であるという条件にあり、国内商業取引の3分の2、貿易取扱高の75%を占める商業、金融の中心地となっている。主要輸出品は燐(りん)鉱石、柑橘(かんきつ)類、野菜、輸入品は石油、工業製品である。工業生産額でも国内の半分以上を占める工業都市で、金属、製鉄、化学、発電、繊維、食品、窯業石油精製などの工業が立地する。市域は沿岸20キロメートルにわたって広がり、港の北西の旧港に面したメディナ(旧アラブ市街)と周辺の都市計画によるヨーロッパ風市街とが対照的である。旧港の北に4キロメートルの長大な防波堤があり、埠頭(ふとう)の東には工業地帯がラバトへ続いている。人口増加に伴い南郊には新しい住宅地が広がりつつある。各大陸と結ぶ国際空港がある。

[藤井宏志]

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