アブドゥッラー
Abdullah bin Abdul Kadir
生没年:1797-1854
マレー近代文学の先駆的作品であり,19世紀のシンガポールに関しての重要なマレー語資料でもある自伝《アブドゥッラー物語》(1849)の著者。アラブ,タミル,マレーの血を引き,マラッカで生まれる。13歳で東インド会社のラッフルズの書記となり,以後外国人にマレー語を教えるムンシ(語学教師)としての生涯をおくり,イギリスの植民地という環境の中で,ラッフルズの影響もあったが,最も早くマレー語教育の必要を説いた。ラッフルズによるシンガポール獲得とともにそこに移住し,東南アジアにおけるイギリスの最重要植民地の発展の証人となり,自伝《アブドゥッラー物語》で,徹底したリアリズムの手法で変貌してゆくシンガポールを生き生きと描いた。ほかに《アブドゥッラーの航海記》《アブドゥッラーのジェッダへの航海記》などの著作がある。
執筆者:中原 道子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アブドゥッラー
Abdullah bin Abdul Kadir Munshi
[生]1796. マラッカ
[没]1854. メッカ
マレーのマレー語教師,著述家。アラブ・タミール系のマレー人で,生涯のほとんどをイギリス支配下のマラッカとシンガポールで過した。 1811年マラッカにやってきた T.ラッフルズの最年少の書記となって彼の心酔者となった。以来,イギリス人支配者や宣教師の語学教師をつとめた。詩,紀行文,自伝などで同時代のすぐれた記録を残し,近代マレー文学の祖とされる。『アブドゥッラー自伝』 Hikayat Abdullah bin Abdul Kadir Munshi (1849) がある。
アブドゥッラー
`Abd Allāh, Sheikh Mohammad
[生]1905.12.5. スリナガル,ソウラ
[没]1982.9.8. スリナガル,ソウラ
インドの政治家。ラホール大学,アリーガル・イスラム教大学卒業。カシミール藩王国の改革運動を目指し,1932年イスラム教徒会議を結成。第2次世界大戦後,藩王追放運動で逮捕された。 47年カシミールの帰属問題で,第1次印パ戦争が起ると,ジャンムカシミール州の初代首相になり,インドへの帰属を固める協定を結んだ。しかしカシミールの自治を強調しすぎて,53年逮捕され,その後釈放と逮捕の繰返しののち,75年2月州首相に復帰。 77年再選。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアブドゥッラーの言及
【クウェート】より
…1896年大首長ムバーラクが宮廷クーデタで即位してからはイギリスへの傾斜を強め,1899年イギリスの保護国となる条約を結んだ。
[政治]
1950年に〈近代化の父〉といわれるアブドゥッラー首長が即位し,61年にイギリスとの保護関係を解消してクウェートは独立した。独立と同時にオスマン朝の後継者をもって任ずるイラクがクウェートの領有を主張して国境に軍を進める事件があったが,アラブ連盟軍の出兵などによって暫定的な解決をみて,国連にも加盟した。…
※「アブドゥッラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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