カザンラク(英語表記)Kazanlǔk

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カザンラク
Kazanlǔk

ブルガリア中部,ハスコボ州の都市。トゥンジャ川に臨む。いわゆる「バラの谷」の主要都市の一つで,ばら油,はっか油の生産が盛ん。ほかに機械,繊維,食品加工,家具,楽器,たばこなどの産業がある。 19世紀以降この地方の産業,文化の中心であったが,すでにオスマン帝国支配下の 15世紀前半から,アクジャの名で知られた。 1944年市の郊外で発見,発掘された前3世紀後半の古代トラキア貴族の墳墓遺跡は 1979年世界遺産の文化遺産に登録。人口6万 5184 (1991推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

カザンラク(Kazanlak/Казанлък)

ブルガリア中部の都市。バルカン山脈とスレドナゴラ山脈の間のカザンラク盆地に位置する。バラの生産が盛んで、西にあるカルロボ盆地と合わせてバラの谷と呼ばれる。紀元前4世紀から前3世紀にかけてトラキア人の王セウテス(セウト)3世が治めた。トラキア人の墳墓は、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録された。毎年、バラの開花期である6月初旬にバラ祭りが催される。

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百科事典マイペディアの解説

カザンラク

ブルガリア中央部,バルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈に挟まれた〈バラの谷〉の中心地で,この地方の先住民族トラキア人の墓地遺跡がある。前4世紀末ごろに建造された墓で,3部屋からなり,地下通路と墓室壁面にはフレスコ画が描かれている。特に〈(とむら)いの宴〉と呼ばれる絵は,赤,黒,白,緑で描かれた見事なもの。保存のため非公開だが,そばに完全なレプリカがつくられている。墓地は1979年,世界文化遺産に登録。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カザンラク
かざんらく
Kazanlk

ブルガリア中部、スタラ・プラニナ(バルカン)山脈とスレドナ・ゴラ山脈に挟まれたカザンラク盆地にある都市。人口8万1536(2001)。紀元前4~3世紀ごろ、近郊一帯はトラキア人の首長セウテス3世の居城が建設され栄えた。当時の支配者を埋葬したカザンラク古墳は、内壁にみごとな壁画が描かれており、世界文化遺産に指定されている。カザンラクの名は、オスマン帝国支配下の1430年にアクジャ・カザンラクで現れ、17世紀後半には郡(カザー)の中心地として発展。17世紀に近東からバラ油生産が伝えられると、二度精製の方法が考案されて高品質のバラ油が生産され、19世紀には西ヨーロッパにまで販売網を広げた。組紐(くみひも)業や皮革業の手工業が栄え、19世紀中葉のブルガリア人の民族的覚醒(かくせい)を促した。バラ油生産は現在も盛んで、バラの作付けの多いカザンラク盆地と、隣接のカルロボ盆地は、合わせて「バラの谷」と俗称される。毎年バラの開花期にはバラ祭りが開催されバラ博物館もある。町には19世紀の民族復興期の家屋が保存され、歴史博物館も整備されている。[寺島憲治]

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世界大百科事典内のカザンラクの言及

【ブルガリア】より

…【松永 綠彌】
【美術】
1972年バルナにおいて,シュメール文明に先行すると考えられる銅器時代の遺品が発見され,前4千年紀のブルガリアの先進性が注目された。その後この地に住んだトラキア人によって,黒海沿岸にオデッソス(現バルナ)やメセンブリア(現ネセバル)ほかのギリシア植民都市が建設され,現在失われてしまった古代ギリシアの壁画を彷彿とさせるカザンラクKazanlâkの墳墓の天井画(前300ころ)や,パナギュリシテPanagjurište出土の金工品(前3世紀)など,当時の一級品が見られる。46年以降,トラキアとモエシアとしてローマ帝国の属州となり,セルディカ(現ソフィア)など新たにローマ都市が建設されたが,ローマ時代末期のポモリエPomorieの墳墓などは,ローマの建築技術によりつつもトラキア人の伝統に従っている。…

※「カザンラク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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