ドイツの哲学者、精神史家。裕福なユダヤ人商人の息子として、シュレージエン地方のブレスラウ(現、ポーランドのブロツワフ)に生まれる。少年時代から並はずれた記憶力と強靭(きょうじん)な思考力、そして豊かな芸術的感性を備えていた。ベルリン、ライプツィヒ、ハイデルベルクの諸大学で哲学をはじめ法律、歴史、文学、数学、生物学を修め、マールブルク大学のH・コーヘン教授のもとで学位を取得したころには師も驚くほどの博識の持ち主になっていた。真摯(しんし)・温厚な学者であったが、ユダヤ人独特の視野の広さと自由主義的な環境も相まって、哲学上の基本的問題にまっこうから取り組むとともに、二つの大戦という歴史的経験を受け止めて、20世紀の思想の源流となる大著を次々と生み出した。
彼は、コーヘンのもとで、カントの示した認識批判の道をカントの方法に倣って歩んでいたが、とくに、経験的・歴史的考察という方法が決定的であった。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時にはベルリン大学の私講師を務めつつ、大著『近代の哲学と科学における認識問題』の第3巻(カントからフリースへ)を執筆中であった。しかし精神史家でもあるカッシーラーはこのとき『自由と形式』(1916)によってドイツ民族の文化の意義を問う決意をし、その続編となる『理念と形姿』(1921)においては、ゲーテへの共感と傾倒を示している。このカントからゲーテへの展開はまた、「認識批判から文化批判へ」という、主著『象徴形式の哲学』(1922~1929)のテーマでもあった。象徴形式の哲学は、人間精神のみがもつ能力(シンボル機能)によって、神話、言語、歴史、宗教、科学、芸術といった文化諸領域が機能的に統一される、という発想に基づいている。シンボル機能は感性的、素材的契機と、その精神的意味の契機の二重性をその特性とし、これが生み出す像世界(象徴形式)は人間独自の世界把握と意味づけにほかならない。
ナチス政権下のドイツを逃れてアメリカに亡命した彼は、エール大学でアーバンWilbur Marshall Urban(1873―1952)の後を継ぎ、以降英語圏で『人間』(1944)をはじめ彼の著作は広く読まれるようになった。彼のシンボル理論は記号美学者ランガーのシンボルの哲学の核をなし、また彼のいたワールブルク研究所からはパノフスキーやゴンブリッヒErnst・H・J・Gombrich(1909―2001)らの美術史家が出、さらに現代の文化人類学、科学史、科学哲学、解釈学、動物行動学、詩学、精神分析学その他の分野に直接間接の影響を及ぼし続けている。
[塚本明子 2015年2月17日]
『宮城音弥訳『人間』(1953・岩波書店/岩波文庫)』▽『生松敬三他訳『象徴形式の哲学Ⅰ 言語』(1972・竹内書店)』▽『中野好之訳『啓蒙主義の哲学』(1962・紀伊國屋書店/ちくま学芸文庫)』▽『ピーター・ゲイ著、到津十三男訳『ワイマール文化』(1970・みすず書房)』
ドイツの哲学者。旧ドイツ領のブレスラウ(現,ポーランド領ブロツワフ)の富裕なユダヤ人商家に生まれた。ベルリン,ライプチヒ,ハイデルベルク,マールブルクの諸大学に学び,1899年学位を取得。H.コーエン,ナトルプらの新カント学派(マールブルク学派)の一人として出発した彼は,1906年から20年にかけて初期の代表作《近代の哲学・科学における認識問題》3巻を完成した。第1次大戦によるそれの中断は《自由と形式》(1916)という独自のドイツ精神史研究を生み出し,戦後19年には新設のハンブルク大学哲学科の正教授に迎えられた。美術史研究のために独自の視角から多くの文献を集めたワールブルク文庫(ワールブルク研究所)もあったこのハンブルクで,彼は20年代のすべてを費やして後期の代表作《象徴形式の哲学》3巻(1923-29)を書き継ぐ。その問題意識は,《実体概念と関数概念》(1910)にまでさかのぼるというが,実際にはやはり第1次大戦による理性信仰の動揺・崩壊を契機として確固たるものとなったとみられる。つまり,ここにおいて従来の認識批判の対象とされた悟性認識の場面だけでなく,言語・神話・宗教・芸術等々,広範な文化諸領域にわたる〈シンボル形式〉の具体的な解明,〈理性的動物〉ならぬ〈シンボル的動物〉としての人間の文化についての哲学的究明が彼の中心問題としてとらえられることになったのである。
30年にはハンブルク大学総長にも選出されたが,33年ナチスの政権掌握後には亡命を余儀なくされ,まずイギリスのオックスフォードへ,次いでスウェーデンのイェーテボリへ,そして41年にはアメリカに渡り,イェール大学,コロンビア大学で教えた。アメリカで英語で発表された《人間》(1944)は新しい材料と知見を加えて《象徴形式の哲学》を再説・敷衍したものであり,《国家の神話》(1946)は没後に刊行された。
執筆者:生松 敬三
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…これは,実体概念を基軸としていた17,18世紀の考え方に対して,実体などというものは科学的に規定しえないものなのだから,科学はそうしたものを想定することなく,もっぱら現象の記述とその相互関係の法則的把握を目ざすべきだとする思想傾向であり,その限りでは同時代の反形而上学的な実証主義や現象主義と立場を同じくするが,古い実証主義がとかく事実を固定的・機械論的にとらえがちであったのに対し,諸現象をもっと動的・関数的にとらえようとするものであった。この問題をさらに厳密に考えぬき質量,力,エネルギー,原子,時間,空間といった近代科学の基本概念を,実体的なものの表現としてではなく,現象相互の関係やその変化を法則的に表現しようとする関数概念と解すべきだと説くカッシーラーの主張(《実体概念と関数概念》1910)なども,〈機能(関数)主義〉とよばれてよい。 一方,個別科学の領域で機能主義的と見られるのは,心理学においてはW.ジェームズの流れをくむデューイやJ.R.エンジェルらの機能心理学,それを継承するJ.B.ワトソン,G.H.ミードらの行動主義心理学,民族学や人類学の領域ではデュルケームの影響下に立つB.K.マリノフスキー,ラドクリフ・ブラウンらの機能学派,経済学におけるベブレンの制度学派,法学ではR.パウンドの社会工学,G.D.H.コールらギルド社会主義者の機能的国家論などである。…
…それゆえに,ある宗教的象徴をとり入れるということは,現実を理解するためある文化的様式を採用するというばかりではなく,適切な社会的行動基準をも選択していることになる。 さて,こうした特定の明白な象徴作用――たとえば,太陽と車輪など――に限定される表現形態とは異なり,E.カッシーラーは,実在と精神とを媒介するあらゆる表象を象徴と呼んだ。この両者に関しては,P.リクールがその調停を目ざし,象徴を〈解読を要求する両義的表現〉として規定している。…
※「カッシーラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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