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ドイツの美術史家。ハノーファー生れ。1926-33年ハンブルク大学教授。この間ワールブルク研究所の創始者A.ワールブルクらと接する。ユダヤ系のゆえにナチスに追放され33年渡米し,35年よりプリンストン高等研究所教授をつとめた。とくに〈アイコノロジーiconology(イコノロジー)〉(図像学)の創始者として知られるが(《イコノロジー研究》1939),《デューラーの美術理論》(1915),《デューラー》(1943),《初期ネーデルラント絵画》(1953),《サン・ドニ修道院長シュジェール》(1946)等に見られる該博な知見と精緻な考証は,彼が単なる理論的思索家ではなく抜群の史眼を備えた美術史家であり,安易な着想や過剰解釈に陥りがちな亜流の図像解釈学者とは截然たる一線を画していたことを証する。随筆家としても一家をなしユーモアをもってきこえ,妻ドラDoraとの共著《パンドラの箱》(1956)等がある。ドイツ美術史学の伝統をアメリカに移植し,これを着実に育成した功績は大きい。プリンストンで没。
執筆者:前川 誠郎
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ドイツ生まれの美術史学者。ベルリン、ミュンヘン、フライブルクなどの大学で学び、ハンブルク大学教授になったが、1934年ナチスの時代にアメリカに移住。ニューヨーク大学、プリンストン大学、ハーバード大学などで教授を務めた。おもに中世およびルネサンスの美術を扱って古典的主題の表現について研究し、美術作品における主題と意味の関連を、イコノグラフィー(図像学)からイコノロジー(図像解釈学)へと高める方法論を確立した。著書は多くあるが、邦訳されているおもなものに『イコノロジー研究』(1939)、『視覚芸術の意味』(1957)、『ルネサンスの春』(1960)などがある。
[鹿島 享]
…州都はドレスデン。
[ニーダーザクセン]
ドイツの一州(ラント)を構成するニーダーザクセンは,第2次世界大戦後の1946年,旧プロビンツ・ハノーファーProvinz Hannoverを中心として四つのラントが合わさって作られた新しいラントである。この地域は,オストフリースラント部分を除いて,すべて,かつてのザクセン部族定住領域に属し,ラントの名称もそれに由来する。…
※「パノフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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