百科事典マイペディアの解説
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ギリシアの政治家。コルフ(ケルキラ)島出身。その家名はイストリア伯Capo d'Istriaに由来する。トルコ宗主権下の「イオニア七島連邦国」発足(1800)とともに政界に入り、1809年ロシア政府に招かれて同国の外交官となり、ウィーン会議で才腕を発揮。ついでロシア外相となってオーストリアのメッテルニヒの反感を買った。ギリシア独立の秘密結社「友愛会」総裁の就任は固辞し続けたが、27年ギリシア国民会議によって初代ギリシア大統領に選出され、ヨーロッパ諸国訪問後、翌28年初めナフプリオンに上陸、大統領に就任した。しかし、そのロシア的施政は、独立に功績のあったギリシア人有力者の反発を招き、31年10月9日暗殺された。
[馬場恵二]
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