カポディストリアス

百科事典マイペディアの解説

カポディストリアス

ギリシアのコルフ島出身の政治家。1809年ロシアに行き,ロシア政府の外交官となり,ウィーン会議出席後はロシアの外相となる。祖国の民族運動を時期尚早とみて秘密結社エテリアへの参加を当初は拒んだが,ギリシア解放戦争中,1827年ギリシア国民議会から大統領に推された。翌年帰国して就任したが,反対派のために暗殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

カポディストリアス【Ioánnis Kapodístrias】

1776‐1831
ギリシアの政治家。コルフ島の出身で,イタリアで医学をまなび,1800年からイオニア諸島共和国政府の外交を担当した。09年ロシアへ渡り,ツァーリの信任をえて外務大臣に登用された。彼は祖国の民族運動を時期尚早とみて,秘密結社エテリアへの参加を拒み,独立戦争の当初も否定的態度をしめしたが,のちには支援した。27年ギリシア議会で大統領に選ばれ,翌年帰国したが,反対派のために暗殺された。【萩原 直】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カポディストリアス
かぽでぃすとりあす
Ioannis Antoniou Kapodistrias
(1776―1831)

ギリシアの政治家。コルフ(ケルキラ)島出身。その家名はイストリア伯Capo d'Istriaに由来する。トルコ宗主権下の「イオニア七島連邦国」発足(1800)とともに政界に入り、1809年ロシア政府に招かれて同国の外交官となり、ウィーン会議で才腕を発揮。ついでロシア外相となってオーストリアのメッテルニヒの反感を買った。ギリシア独立の秘密結社「友愛会」総裁の就任は固辞し続けたが、27年ギリシア国民会議によって初代ギリシア大統領に選出され、ヨーロッパ諸国訪問後、翌28年初めナフプリオンに上陸、大統領に就任した。しかし、そのロシア的施政は、独立に功績のあったギリシア人有力者の反発を招き、31年10月9日暗殺された。[馬場恵二]

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