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カラチ カラチ Karāchī

翻訳|Karāchī

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カラチ
カラチ
Karāchī

パキスタン南東部,シンド州の州都。アラビア海に面するインダス川三角州の北西端に位置する。熱帯気候で周辺は半砂漠。 19世紀中頃までは小漁村にすぎなかったが,イギリス統治時代にインドの地方中心都市となった。

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デジタル大辞泉の解説

カラチ(Karachi)

パキスタン最大の商工業・港湾都市。シンド州の州都。インダス川デルタ地帯にあり、アラビア海に面する。独立時から1959年まで首都。英国統治時代の建物が多く残るほか、パキスタン建国の父が眠るジンナー廟国立博物館、世界最大の単一ドームをもつトゥーバモスクなどがある。人口、行政区1283万(2009)。

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百科事典マイペディアの解説

カラチ

パキスタン,インダス三角州西端,アラビア海岸に位置するパキスタン最大の都市。広大な後背地をひかえた貿易港。商工業,金融の一大中心。国際空港があり,織物,製油,自動車組立て,製鋼などの工業が行われる

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世界大百科事典 第2版の解説

カラチ【Karachi】

パキスタン最大の都市で,独立以後1959年までの仮首都。人口670万(1991)。インダス河口西方に位置する。市の中心部は潟湖に流入するラヤーリ川とマリール川との間の三角州上にある。前325年にネアルコスアレクサンドロス港と名づけ風待ちをしたサンダカカラチに比定されている。1824年にイギリスはここを領有し,シンド,パンジャーブ攻略の拠点とした。その攻略後,カラチはインダス川流域およびアフガニスタンの外港となり発展し始めた。

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大辞林 第三版の解説

カラチ【Karachi】

パキスタン、インダス川デルタの北西端、アラビア海に面する港湾都市。同国最大の都市。綿花・羊毛の輸出が多い。欧亜航空路の中継地。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カラチ
からち
Karachi

パキスタン南部、アラビア海に臨む同国最大の都市。インダス川河口の西方に位置し、同国最大の港湾都市でもある。1947年の独立時から59年までは仮首都であった。人口926万9265(1998)。年降水量は204ミリメートルと少なく乾燥地帯に属するが、市の中心部が、北のラヤーリ川と南のマリール川との間に形成された低湿なデルタ上にあるため、洪水の被害を受けやすい。市の南と南西にはマングローブの生える塩水性湿地が広がり、その中央部を南北に縦断するように港がつくられている。
 紀元前325年、アレクサンドロス大王の東征の帰途、部将ネアルコスが南西モンスーンの終わるのを待ったというサンダカの港はこの湿地に比定されている。以後カラチは歴史に登場せず、やっと1725年になってここに小要塞(ようさい)と漁村があったことが判明している。1839年にイギリスはここを領有してインダス川流域攻略の拠点とし、1843年のシンド領有後はここにその州都を定めた。19世紀を通じてカラチは同川流域地方さらにはアフガニスタンの外港として成長していった。とくに1861~65年のアメリカ南北戦争によるパンジャーブ産綿花への需要拡大、また用水路灌漑(かんがい)の発展による同地方の農業生産の拡大は、カラチの港湾機能を拡充させ都市形成を促進させた。人口も1941年には35.9万に達した。当時のカラチは、港湾地区、その北東に接するデルタ上のシティとよばれる商業地区、その東方の高台にあるイギリス人の官庁・高級住宅地区(シビル・ライン)、さらにその南東に広がるカントンメントとよばれる軍隊駐屯地の四つから構成された地方の中心都市にすぎなかった。しかし1947年のインド、パキスタンの分離、独立により、急遽(きゅうきょ)パキスタンの仮首都が置かれ、また多数のイスラム教徒がインドから流入してきた。人口は、1951年には111.9万、61年には191.3万へと激増した。市街地も、北方および北東方を中心に周辺部に大きく拡大していった。高級住宅地を主とする北東方地区を除くと、これらの新しい都市化地区には多くの不良住宅地区が形成され、カラチの都市問題の一つとなっている。工業もこれらの周辺地区に発達し、紡績、セメント、電機、化学肥料、また海岸部には石油精製、製鋼などの工業が立地し、同国第一の工業化基地となっている。これらの工業の多くは流入者への雇用の拡大をも目的としている。人口急増につれ水不足が著しく、飲料用水源は193キロメートル離れたインダス川に仰いでいる。[応地利明]

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