『タイムズ』『デーリー・テレグラフ』と並び称せられるイギリスの高級日刊紙。1821年、ジョン・エドワード・テーラーJohn Edward Taylor(1791―1844)が11人の社会改革論者から資金提供を受けて、『マンチェスター・ガーディアン』という名前の週刊紙として創刊した。1855年に印刷物への課税である印紙税法が実質廃止されると日刊紙に変わり、価格も2ペンスから1ペニーに引き下げて部数を伸ばした。その後1957年にはロンドンに進出し、1959年紙名からマンチェスターをはずして、全国紙となった。
『ガーディアン』が今日あるのは、チャールズ・プレストウィッチ・スコットCharles Prestwich Scott(1846―1932)によるところが大きい。1872年に25歳の若さで編集長に就任してから57年間、自由主義的論調、文芸・芸術分野の報道、海外特派員報道の充実などによって同紙の声価を高めた。一国、一党派に偏らず、理想に拠(よ)って行う報道や論評は時に国民感情を刺激し、部数を落とすことがあったが、同紙は報道姿勢を変えなかった。それを経営面から可能にした要因としては、1936年設立のスコット・トラスト(信託組織)が同紙を所有し財政的な後ろ盾になっていたこと、1924年に買収した『マンチェスター・イブニング・ニューズ』からの資金を得ていたことなどがある。現在の所有関係は、スコット・トラストがメディア企業ガーディアン・メディア・グループ(GMG)を所有し、GMGが直接新聞を発行するガーディアン・ニュース・アンド・メディア社を所有するユニークな形になっている。スコット・トラストは2008年に株式会社に組織変更し、有限責任会社スコット・トラスト・リミテッドとなったが、トラストの核となる目的(『ガーディアン』編集の独立の擁護など)に変わりはないとしている。GMGはイギリスでもっとも古い日曜紙である『オブザーバー』の所有者でもある(1993年買収)。編集方針は、ピータールーの虐殺への抗議、穀物法への反対など創刊当初掲げていた伝統を受け継ぎ、現在も中道左派的な自由主義に拠っている。発行部数は2000年の40万部から28万部(2011)にまで減っている。ウェブ版は1999年からスタートした。
[橋本 直]
イギリスの高級紙。1821年5月5日,テーラーJohn E.Taylor(1791-1844)が,《マンチェスター・ガーディアンManchester Guardian》として創刊。週刊紙(土曜日発売),値段7ペンス,初年度部数毎号平均1000部。テーラーはマンチェスターの綿糸製造・販売業者であったが,19世紀前半の選挙法改正運動に参加,その言論機関として発行した。選挙法改正,穀物法撤廃に活躍,コブデン,ブライトらのマンチェスター学派の代表的機関紙となるが,48-61年まで,創業以来の社員ガーネットJeremiah Garnettが編集責任者となり,紙面は保守化しパーマストン寄りになった。すでに1836年から週2回刊であったが,55年7月2日から日刊,57年には1ペニーに値下げ,68年には《マンチェスター・イブニング・ニューズManchester Evening News》を出して基礎を固める。しかし,有力地方紙の枠を超え,全国的権威を確立するのは,72年創業者の甥C.P.スコットが編集長(1872-1929)になってからである。彼はグラッドストンのリベラリズムを熱烈に支持し,アーノルドWilliam T.Arnoldら,著名な学者,文人をライターに集め,1899-1902年のボーア戦争では,最初から最後まで徹底して反対した。保守派からボイコットを組織され,群衆に社屋は襲撃され,部数も激減し,物的被害は甚大であったが,少数派になることを恐れないリベラル・ラディカル紙としての伝統を確立した。第1次世界大戦後の講和会議にはハモンドJ.L.Hammondを特派し,ウィルソン大統領の理念を支持するキャンペーンをした。またケインズにも数多くの論文を寄稿させている。1945年の総選挙で,44年以来編集長になっていた歴史家トーニーの弟子ワッズワースA.P.Wadsworthは,伝統的な自由党との縁を切り,労働党戦後改革の多くを支持する転換を行って,新状況に対応した。59年8月から題名を《ガーディアン》に変更(このとき,部数約18万部,12万部弱がマンチェスター外で買われている),60年9月からロンドンで印刷。名実ともに《タイムズ》と並ぶ高級紙の代表となる。スエズ動乱の時には,フランスと手を組んだエジプトへの攻撃に反対,マンチェスターでの多くの読者を失うが,反対にイギリス南部,とくにロンドンでは新しい読者を獲得し,経営基盤も安定させた。ところが60年代後半には不況に見まわれ,《タイムズ》と合併の寸前まで行くが,当時の所有者スコット家が分裂し,失敗。70年代に入り,なんとか経営は持ち直す。フォークランド紛争のおりは,サッチャーの保守党政権に激烈な批判を展開した。93年には伝統ある高級日曜紙《オブザーバー》を買収。部数は80年代の50万部台が頂点で,90年代は40万部台に落ちている。
執筆者:香内 三郎
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