キシュ

改訂新版 世界大百科事典 「キシュ」の意味・わかりやすい解説

キシュ
Kish

シュメール古代都市遺跡イラク中部,バビロンの東約15kmにあり,ユーフラテスの旧河床をはさんで西にウハイミールUhaymīr,東にインガッラIngharraを含む一群テルが東西約4kmの範囲に散在する。1923-33年にかけて発掘が行われたものの,方法が粗雑で報告が不十分だったため都市の全体像はほとんどわからなかったが,出土品と記録の詳細な再検討を経て,最近ようやく情報が整理されてきた。ジャムダット・ナスル期からササン朝ペルシアまで居住の跡があり,そのなかで初期王朝Ⅰ期の洪水跡,Ⅱ期に属する車葬送の王墓,宮殿,Ⅲ期の墓地などが議論の対象になった。〈シュメール王名表〉には,大洪水のあと最初に王権が下った都市としてあげられ,シュメール人とアッカド人が混住していた。ウハイミールとインガッラはそれぞれに神殿ジッグラトをもつ二つの中心で,後者はキシュの一部であるがフルサグカラマHursagkalamaと呼ばれたことがある。キシュ以外を統治する強力な王のなかに,〈キシュの王〉という肩書を加えているものがいることは,初期王朝期におけるキシュの重要な地位を示している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キシュ」の意味・わかりやすい解説

キシュ
Kish

バビロン東方 15kmにあった古代メソポタミアの都市国家。現イラクのウハイミル。 1923~33年にシカゴ自然科学博物館とオックスフォード大学による発掘が行なわれた。シュメール文書によると,「大洪水後の最初の王朝」という伝説的なキシュ第1王朝 (前 2750頃~2660頃) の記録があり,実在していたとされ,王の一人メシリムが記した土地争い調停碑文は現存する最古の王碑文といわれる。また初期王朝時代の最古の宮殿 (前 2900頃) が発掘されている。第1王朝最後の王アッガは前 2660年頃ウルクの王ギルガメシュに敗北した。住民はセム系とシュメール系が混在。キシュの宮廷役人だったセム系のサルゴンはアッカドの王となった。初期王朝時代の繁栄は再興することがなかったが,ササン朝時代 (5~6世紀) までは小都市として存続していた。

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百科事典マイペディア 「キシュ」の意味・わかりやすい解説

キシュ

イラク,バビロンの東方約15kmの古代都市。前2700年ころからシュメールの主要都市として栄え,ササン朝まで存続。20世紀初め先サルゴン時代の宮殿,ジッグラトなどが発掘された。ウルと並び,ノアの洪水の遺跡に比定されたことで知られる。

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普及版 字通 「キシュ」の読み・字形・画数・意味

【騏】きしゆ

は後左足の白い馬。

字通「騏」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内のキシュの言及

【シュメール】より

…ウルクとほぼ同じ頃,エリドゥ,ウル,ギルス,ラガシュ,ウンマなども都市的規模に達した。ジャムダット・ナスル期(前3000ころ?‐前2800ころ?)にはシュルッパク,ニップール,キシュ,エシュヌンナが都市的規模に発展し,また文字の表音文字としての使用法が現れ,絵文字が写す言語がシュメール語であることが確認される。
[初期王朝期――都市国家時代]
 シュメールは前3千年紀初めから初期王朝期と呼ばれる時代(前2800ころ?‐2350ころ。…

【メソポタミア】より

…これ以後キリスト紀元ころまで粘土板は西アジア各地で記録書板として広く用いられ続けている。 前3千年紀初頭の初期王朝期I期には,シュメールに北接する地域(のちのアッカド地方)に位置するキシュが勢威を有していた。伝承によれば,キシュは〈大洪水〉後に最初に全土の覇権を握っている(キシュ第1王朝)。…

※「キシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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