キッチナー(読み)きっちなー(英語表記)Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener of Khartoum and of Broome

デジタル大辞泉 「キッチナー」の意味・読み・例文・類語

キッチナー(Kitchener)

カナダ、オンタリオ州南部の都市。トロントの西約90キロメートルに位置し、隣接するウオータールーとともに同一都市圏を構成する。ドイツからの移住者が多く、かつてベルリンとよばれたが、第一次大戦時に英国陸軍大臣キッチナーにちなみ、改称された。各種工業が盛ん。毎年10月にドイツ文化とビールの祭典が催される。

キッチナー(Horatio Herbert Kitchener)

[1850~1916]英国の軍人。ファショダ事件南ア戦争で指揮をとる。第一次大戦時、陸相。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キッチナー」の意味・わかりやすい解説

キッチナー(Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener of Khartoum and of Broome)
きっちなー
Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener of Khartoum and of Broome
(1850―1916)

イギリスの軍人。ウーリッジの陸軍士官学校に学ぶ。1884~1885年、スーダンゴードン将軍の救出作戦に参加、マフディー軍と戦った。1892年エジプト軍司令官に就任、1898年にハルトゥームを奪回した。同年ファショダでフランスのマルシャンJean-Baptiste Marchand(1863―1934)指揮下の軍と対峙(たいじ)、ファショダ事件を起こす。その後、南アフリカ戦争ブーア戦争)での総司令官インド軍総司令官、元帥(1909)。エジプト駐在代表を経て、1914年、第一次世界大戦に際して陸軍大臣となったが、弾薬不足への非難の高まりなどのなかで声望を失い、1916年ロシアへ赴く途次、船の沈没によって死去した。

[木畑洋一]


キッチナー(カナダ)
きっちなー
Kitchener

カナダ、オンタリオ州南部の工業都市。人口19万0399。ウォータールーとともに大都市域を形成し、その人口は41万4284(2001)である。1806年にペンシルベニアオランダ人が建設、最初はサンドヒルズとよばれていたが、のちにドイツからの移住者が多数定住し、ベルリンと変更した。1916年イギリス陸軍元帥キッチナーを記念し、改名した。家具・食品・ゴム製品繊維工業などが盛んで、ウォータールーとともに製造業の中心地である。

[山下脩二]

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改訂新版 世界大百科事典 「キッチナー」の意味・わかりやすい解説

キッチナー
Horatio Herbert Kitchener
生没年:1850-1916

イギリスの軍人。1883年,イギリスによる占領直後のエジプトに赴いて軍務に就き,96-98年,エジプト軍総司令官としてスーダン征服戦争を指揮,マフディー派国家を滅ぼす。征服終了直後,スーダン南部のファショダでフランス遠征隊と遭遇し(ファショダ事件),イギリス権益確保のための折衝に努める。ついで南アフリカに赴き,1900-02年,ボーア戦争で指揮をとる。02-09年インド軍総司令官,11-14年駐エジプト総領事を務めた後,14年,第1次世界大戦勃発と同時に陸相に就任。迅速な動員と軍制改革によって総戦力の基盤整備に努めたが,16年,訪露途上の乗艦の沈没で死去。大規模かつ組織的で冷酷な近代戦を得意とし,1880年代後半から第1次世界大戦期のイギリス帝国主義の一つの象徴となった人物。
執筆者:


キッチナー
Kitchener

カナダ,オンタリオ州南部の商工業都市。大都市域人口45万8552(2005)。ヒューロン湖,エリー湖,オンタリオ湖に囲まれた豊かな農業地帯のほぼ中央に位置し,豚,酪農品,果物などの集散が盛ん。ゴム,プラスチックエレクトロニクス,金属加工,食品加工,自動車などの工業も盛ん。1807年,アメリカ合衆国ペンシルベニア州から移住したメノー派の人々が,サンド・ヒルズという集落を建設。その後多くのドイツ移民が来住しベルリンと名づけられたが,第1次大戦中,イギリスの軍人H.H.キッチナーにちなんで市名が改められた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キッチナー」の意味・わかりやすい解説

キッチナー
Kitchener, Horatio Herbert, 1st Earl Kitchener

[生]1850.6.24. ケリー
[没]1916.6.5. オークニー諸島沖
イギリスの軍人,政治家。 1882年エジプトのアラビー・パシャの乱鎮定に参加。 92年エジプト軍司令官。 98年フランスとの間に起ったファショダ事件を有利に解決し,功により男爵に叙せられた。 99年南アフリカ戦争勃発に際し,L.ロバーツ将軍の参謀長となり,1900~02年総司令官としてブール人のゲリラ戦を徹底的に鎮圧,功により 02年子爵となる。 02~09年インド軍総司令官として軍制その他の改革を行なった。 09年元帥。 11~14年エジプト駐在イギリス代表。 14年伯爵に叙せられ,第1次世界大戦が勃発すると,H.アスキス内閣の陸相に就任。長期戦を予想して陸軍の大拡張や軍需産業の動員に努めたが,政治的資性に欠けたため,閣僚の支持を十分に得られなかった。軍事会談のため巡洋艦『ハンプシャー』号でロシアへおもむく途中,ドイツの機雷により沈没,死亡。

キッチナー
Kitchener

カナダ,オンタリオ州南部,ハミルトンの北西 53kmにある都市。ヒューロン湖,エリー湖,オンタリオ湖にはさまれるオンタリオ半島のほぼ中央部にあり,1月の平均気温-7℃,7月の平均気温 19℃,年降水量 850mmで気候温和。居住が始った 1807年頃はサンドヒルズと呼ばれ,次いでメノナイトのエビー司教の名を取りエビータウン,24年にはベルリンと呼ばれたが,1916年イギリスの陸軍元帥 H.キッチナーの名を取ってキッチナーと改称。最初の開拓者の大部分はペンシルバニアから入ったドイツ人で,その後もドイツからの移住者が多かった。カナダで最も人口密度の高い地域の工業,金融,商業の中心地で,ウォータールーと隣接し,双子都市として知られる。家具,肉の缶詰,醸造,ゴム製品,繊維製品の製造が盛ん。人口 21万9153(2011)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キッチナー」の解説

キッチナー
Horatio Herbert Kitchener

1850~1916

イギリスの軍人。1874年パレスチナなどで測量に従事。82年ゴードン将軍救出作戦に参加,92年エジプト軍司令官。96年スーダン奪回に乗り出し,98年ハルツーム占領。その間ファショダ事件の現地当事者となる。99年スーダン総督となり南アフリカ戦争で総司令官となった。1902年インド軍司令官をへて09年帰国。14年伯爵。第一次世界大戦時に陸軍大臣となったが,乗艦が沈み戦死。

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百科事典マイペディア 「キッチナー」の意味・わかりやすい解説

キッチナー

英国の将軍。1882年エジプト軍に参加してゴードン将軍を救援。1898年ファショダ事件の解決に当たり,のちボーア戦争の総司令官,インド軍総司令官,1909年元帥に昇進,エジプト駐在代表を歴任。第1次大戦中は陸相となり,軍備拡張を唱え,戦争指導協議のためロシアに向かう途中,乗艦が触雷沈没して戦死。

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旺文社世界史事典 三訂版 「キッチナー」の解説

キッチナー
Horatio Herbert Kitchener

1850〜1916
イギリスの軍人
エジプト・南アフリカなどのイギリス軍指揮官として,ファショダ事件や南ア戦争に功績があり,第一次世界大戦には陸相となったが,ロシアに向かう途中,北海で戦死した。

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世界大百科事典(旧版)内のキッチナーの言及

【ファショダ事件】より

…エジプト・スーダンは,カイロからケープ植民地を結ぼうとするイギリスのアフリカ縦貫政策と,紅海沿岸のソマリランドから大西洋岸のセネガルを結ぼうとするフランスの横断政策の交差地域となった。1898年7月,コンゴを出たマルシャンJ.B.Marchand大佐(1863‐1934)指揮下のフランス隊はナイル渓谷のファショダを占領したが,イギリスのキッチナーH.H.Kitchener将軍(1850‐1916)はナイルをさかのぼってスーダンへ進軍,9月19日にファショダへおもむき,フランス軍の撤退を求めた。イギリス,フランス間の緊張は高まったが,外交交渉によってフランス側が譲歩して撤退し,翌99年3月成立の協定によって事件は正式に解決した。…

【ファショダ事件】より

…エジプト・スーダンは,カイロからケープ植民地を結ぼうとするイギリスのアフリカ縦貫政策と,紅海沿岸のソマリランドから大西洋岸のセネガルを結ぼうとするフランスの横断政策の交差地域となった。1898年7月,コンゴを出たマルシャンJ.B.Marchand大佐(1863‐1934)指揮下のフランス隊はナイル渓谷のファショダを占領したが,イギリスのキッチナーH.H.Kitchener将軍(1850‐1916)はナイルをさかのぼってスーダンへ進軍,9月19日にファショダへおもむき,フランス軍の撤退を求めた。イギリス,フランス間の緊張は高まったが,外交交渉によってフランス側が譲歩して撤退し,翌99年3月成立の協定によって事件は正式に解決した。…

※「キッチナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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