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キルヒナー Kirchner, Ernst Ludwig

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キルヒナー
Kirchner, Ernst Ludwig

[生]1880.5.6. アシャッフェンブルク
[没]1938.6.15. ダボス近郊
ドイツ表現主義の画家。 1901~05年ドレスデンの工業学校で建築を学ぶ。同地で E.ヘッケルと知合い,05年 K.シュミット=ロットルフ,F.ブライエルら4人で「ブリュッケ」を創設。ドイツ中世の木版画や日本の浮世絵版画から受けた影響が,線と広い平面を使用する画面によく現れ,特に版画に顕著である。またムンクやフォービスム,さらにアフリカ,オセアニア先住民の原始美術からも影響を受けた。その後,ベルリンの「」や「青騎士」の運動にも参加しながら表現主義運動の画家として活躍。『街路の5人の婦人』 (1913,ワルラフ=リヒアルツ美術館) や『街』 (13,ニューヨーク近代美術館) などが独特な様式を示す典型的な作品。 17年以後はスイスのダボス近郊で療養生活をおくっていたが,37年ナチスから退廃芸術家の一人に指名され,作品を没収された。 38年に自殺。

キルヒナー
Kirchner, Friedrich

[生]1848
[没]1900
ドイツのカトリック哲学者。質料的なものを精神的なものの現象とする観念的実在論を唱えた。哲学辞典"Wörterbuch der philosophischen Grundbegriffe" (1886) の著者。主著"Leibniz' Psychologie" (76) ,"Diätetik des Geistes" (84) 。

キルヒナー
Kirchner, Timotheus

[生]1533.1.6. デルシュテート
[没]1587.9.14.
ドイツのルター派の神学者。イェナ,ヘルムシュタット,ハイデルベルク各大学教授を歴任。 1583年にルター派であるという理由で大学を追放されると,翌年からワイマールの地方総監督に就任。数多くの神学の調停書を発表し,ルター派の教理問答を広めた。主著は『和協信条書の弁証』 Apologie des Concordienbuches (1583) ,『アウクスブルク信条の歴史』 Historia der Augsburgischen Confession (84,共著) 。

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デジタル大辞泉の解説

キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)

[1880~1938]ドイツの画家。表現主義運動の端緒をなすブリュッケ派の中心的画家の一人。木版画にも優れた。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

キルヒナー

ドイツのオルガニスト、作曲家。ザクセン地方ノイキルヒェンに生まれ、8歳ですでにオルガンの名手であった。
38年にライプツィヒに移り、メンデルスゾーンやシューマンに会う。ヴィンタートゥールにてオルガニス ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

キルヒナー【Ernst Ludwig Kirchner】

1880‐1938
ドイツ表現派の画家。アシャッフェンブルクに生まれる。1905年に画家集団ブリュッケ(橋)を結成。中世木版画やアフリカの原始彫刻を発見し,仲間との共同生活を通して,素朴で奔放な姿態の裸体画を描き,また色彩を平面的に解放する。ベルリンに出てからの娼婦群像には,大都会の消耗性が研ぎ澄まされた形で様式化されている。第1次大戦の際応召し,軍隊生活で神経を患いスイスへ移住。象徴的な風景画を描いた。大戦の再発を予感し自殺。

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大辞林 第三版の解説

キルヒナー【Ernst Ludwig Kirchner】

1880~1938) ドイツの画家。第一次大戦後の芸術界を支配した表現主義運動推進者の一人。精神的体験を強く表出した作風が特徴。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キルヒナー
きるひなー
Ernst Ludwig Kirchner
(1880―1938)

ドイツの画家。5月6日アシャッフェンブルクに生まれる。1901~05年ドレスデンで建築を学ぶ。この間03~04年ミュンヘンの画家オプリストHermann Obrist(1863―1927)について絵画を学んだ。05年ドレスデンで同学の友ヘッケル、シュミット・ロットルフらと表現主義の最初のグループ「ブリュッケ(橋)」派を結成し、そのリーダーとして活躍する。奔放多彩な初期の絵にはムンク、ゴーギャンおよび黒人彫刻の影響が強い。
 1911年ベルリンに移住し、閉鎖的なコンポジションと鋭角的なフォルムによる大都会の街頭風景画に新機軸を生む。第一次世界大戦に従軍して結核となり、17年以後スイスのダボスのサナトリウムにあってアルプスの山岳風景を描く。この時期には形態の抽象化が目だつ。ナチスにより退廃芸術家の烙印(らくいん)を受け、38年6月15日自殺した。木版画にも優れている。[野村太郎]

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世界大百科事典内のキルヒナーの言及

【表現主義】より

…ムンクの《叫び》(1893)は表現主義芸術の先駆的かつ象徴的な作品であり,それを含む〈生命のフリーズ〉連作は1902年のベルリン展で多大の反響を呼び,世紀末芸術の装飾性を打ち破る表現主義美術運動に大きな刺激を与えた。運動の担い手となったのは,05年にドレスデンで結成されたキルヒナーらの〈ブリュッケ(橋)〉派と11年にミュンヘン新芸術家協会から分離したカンディンスキー,マルクらの〈ブラウエ・ライター(青騎士)〉派である。〈ブリュッケ〉派は無垢な自然を対象に赤裸な生命の表現を志し,その源泉を中世の古版画と民俗博物館の未開人彫刻や仮面に求め,フランスのフォービスムと類似の野性的な様式を発展させた。…

【リトグラフ】より

…20世紀に入るとフランスの石版熱は鎮静するが,代わって1920年代にはドイツが石版制作ブームの舞台となる。〈ブリュッケ〉の画家たち,キルヒナーやノルデらが,色刷木版画風の様式で色刷石版画に表現主義的効果を持ちこんだ。グロピウスのバウハウスも,クレー,カンディンスキー,ファイニンガーらの石版画集を刊行した。…

※「キルヒナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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