新印象主義(読み)シンインショウシュギ(その他表記)Néo-Impressionnisme[フランス]

デジタル大辞泉 「新印象主義」の意味・読み・例文・類語

しん‐いんしょうしゅぎ〔‐インシヤウシユギ〕【新印象主義】

1880年代、フランスに興った絵画運動印象主義色彩理論を科学的に推進し、点描法を用いて、色彩効果を追求フォルムや造形的秩序回復に努めた。スーラシニャックに代表される。点描主義

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精選版 日本国語大辞典 「新印象主義」の意味・読み・例文・類語

しん‐いんしょうしゅぎ‥インシャウシュギ【新印象主義】

  1. 〘 名詞 〙 一八八〇~九〇年代のフランスの絵画運動の一つ。画面に高い光輝性を得るため、純色による点描を技法とし、印象派の失った画面の構築性の回復をめざし、また、運動の後半では、線の方向や色が表現される物とは無関係の独自の情緒喚起力をもつことを認識し、現代絵画への道を開いた。印象派の行なった色彩分割をより科学的に厳密に行なったという意味で呼ばれる。スーラ、シニャックらが代表的画家。点描主義。〔最新百科社会語辞典(1932)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「新印象主義」の意味・わかりやすい解説

新印象主義 (しんいんしょうしゅぎ)
Néo-Impressionnisme[フランス]

フランスで19世紀末,1880年代前半から90年代にかけて,まずスーラ,ついでシニャックを中心に展開された絵画運動。〈新印象主義〉という呼称は,象徴主義的美術批評家フェネオンFélix Fénéonによる。光を色彩に還元しようとした印象派の画家たちは,明るい細かな筆触を並置させることでいままでにない生気に富んだ画面を生みだしたが,その反面事物形態は不明確に,構図はしまりのないものになった。スーラはその主要な原因を印象派における色彩並置がいまだ経験的,本能的な段階にとどまっている点に求め,1880年ごろから,ドラクロアの色彩観,シュブルール(1839),ヘルムホルツ(1878),ルッド(1881)の色彩理論を採用しながら,印象主義そのものを科学的に体系化しようとした。その基本となったのが,〈視覚混合le mélange optique〉であり〈色彩の同時的対比(コントラスト)〉である。前者によれば,色彩は網膜上で混合され--たとえば青と黄は網膜上で結びつき,緑として知覚される--,後者によれば,隣接する色彩は影響しあい,とくに補色どうしは互いの輝きを高めあう(これと関連して,ある色彩の周辺部はその補色のかげりを帯びる)。こうして,画面が最高度の輝きを得るために,色彩は当然原色ないし純色に分割されねばならず(ディビジヨニスム),そのもっとも効果的な技法として,純色の小斑点を画面に無数に並べていく点描主義が生みだされた(これによれば,たとえば日のあたる牧草地は,次のような3系統の点描によって複雑に構成される。緑--草の固有色,オレンジおよびオレンジイェロー--日光とその反映,緑黄色--草に吸収された日光,隣接部分の紫の補色)。こうした秩序感覚は構図にもむけられ,黄金比をはじめとする,古典的で厳格な幾何学的構図が用いられた。スーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1886)はこうした新印象主義の記念碑的な作品である。しかし,彼はこれにあきたらず,画面における線の方向と感情を関係づけようとするアンリCharles Henry(1859-1926)の象徴主義的な美学--たとえば,右方向に上ってゆく線は見る者に快感を与える--に共鳴し,それを実制作に取り入れることで新印象主義をより完全なものにしようとしたが,早世した。あとを引き継いだシニャックは99年,理論書として《ウージェーヌ・ドラクロアから新印象主義まで》をまとめたが,この運動そのものはすでに終わっていた。

 新印象主義はフランス国内でクロス,アングラン,デュボア・ピエ,一時的だったがC.ピサロ,国外では,バン・リッセルベルゲ(ベルギー),セガンティーニ,プレビアーティ(ともにイタリア)といった同調者を得たが,しだいに点描主義という単なるスタイルに変質していった。しかし,この変質によってはじめて色彩は対象から自由になり,独自の表現の可能性を与えられ,それはやがてマティスをはじめとするフォービスムの画家たちが画面に原色を爆発させる直接の契機となるのである。
印象主義
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新印象主義」の意味・わかりやすい解説

新印象主義
しんいんしょうしゅぎ
Néo-Impressionnisme

新印象派。 G.スーラ,P.シニャックの2人の画家に代表される 1880年代の美術運動。印象派の経験的レアリスム,その直観的色彩,非構築性に対して,科学的研究に基づく色調,光線の合理的表現,および古典的造形を目指した。 M.シュブルールの色彩・光学理論,また D.シュッテルの『視覚の諸現象』と題する論文 (1880) ,物理学者 H.ヘルムホルツらによる光学的実験などに色彩と光線の表現の科学的根拠を求め,色調の分割 (分割主義) の法則を生み出した。「新印象主義」という言葉は,批評家 F.フェネオンが 86年『現代絵画』誌上で初めて使用したと考えられる。新印象主義の最初の作品はスーラの『水浴』 (84,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) であり,84年5月のアンデパンダン展に出品された。同展出品者のシニャック,H.クロス,C.アングラン,A.デュボア=ピエなど,スーラの方法に共鳴する画家たちが主要メンバーとなってソシエテ・デ・ザルティスト・アンデパンダンが組織され,この運動を推進した。運動はスーラによって完成されたがその死 (91) とともに衰退し,単なる一絵画技法を意味するものとなった。 (→印象主義 )  

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百科事典マイペディア 「新印象主義」の意味・わかりやすい解説

新印象主義【しんいんしょうしゅぎ】

19世紀末にフランスのスーラシニャックが起こした絵画運動。印象主義の色彩理論をさらに科学的に追求することによって色彩の純度の高い,輝きに満ちた画面を作り出そうとする(点描主義)。同時に,印象主義の非形態性を否定し,画面の造形的秩序の重要性を主張した。
→関連項目キルヒナードローネーメッツァンジェ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新印象主義」の意味・わかりやすい解説

新印象主義
しんいんしょうしゅぎ

印象主義

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世界大百科事典(旧版)内の新印象主義の言及

【スーラ】より

…フランスの画家。新印象主義の中心人物。パリの富裕な家に生まれ,生活のために働く必要がなく,絵画に専念できた。…

※「新印象主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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