クライブ(その他表記)Robert Clive

デジタル大辞泉 「クライブ」の意味・読み・例文・類語

クライブ(Robert Clive)

[1725~1774]英国政治家軍人東インド会社書記としてインドに渡り、プラッシーの戦いベンガル大守軍およびフランス軍を破り、英国のインド支配の基礎を築いた。

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精選版 日本国語大辞典 「クライブ」の意味・読み・例文・類語

クライブ

  1. ( Robert Clive ロバート━ ) イギリス東インド会社の軍人。初代ベンガル知事。一七五七年、プラッシーの戦いでフランス‐土侯連合軍を破り、ベンガルにおけるイギリス支配権を確立した。(一七二五‐七四

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改訂新版 世界大百科事典 「クライブ」の意味・わかりやすい解説

クライブ
Robert Clive
生没年:1725-74

イギリスの軍人,政治家。イギリスのインド支配の基礎を築いた。彼はまず,イギリス,フランス,インド人支配層の争いとなった南インドのカルナータカ戦争活躍してイギリスの覇権確立に貢献した。1757年には,ベンガル太守とフランスとの連合軍をプラッシーの戦に打ち破り,クライブはベンガルの支配権を事実上掌握し,太守はイギリス東インド会社の傀儡(かいらい)的存在になった。クライブは,一時イギリスに帰国後,65年に再びベンガル知事に就任した。東インド会社は,ブクサルの戦を経て,65年には,ベンガル州全体の地税徴収の権利(ディーワーニーdīwānī)を得た。こうして,商業貿易会社であった東インド会社によるインド支配が事実上始まってゆく。クライブは,効率的行政機構の確立と会社職員の収賄防止に努めたが,67年に帰国。帰国後,議会などで在職中の行政・収賄などについて非難を受け,74年に49歳で自殺した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クライブ」の意味・わかりやすい解説

クライブ
Clive, Robert, Baron Clive of Plassey

[生]1725.9.29. シュロップシャー,スタイチ
[没]1774.11.22. ロンドン
イギリスの軍人,政治家。イギリスのインド支配の確立者。 1743年イギリス東インド会社に入り,1744年マドラスに渡り,まもなくインドにおけるフランスとの戦争 (→カルナータカ戦争 ) に参加。アルコットの戦いで軍人として名をあげた。一時帰国ののち,1756年ベンガル太守よりカルカッタ奪回,1757年プラッシーの戦いに勝って,イギリスのベンガル支配を固めた。 1760年帰国して下院議員。 1762年功によりアイルランド貴族に列せられ,また以後彼の親族から多くの国会議員が輩出することになった。 1765年ベンガル知事として再びインドに渡り,東インド会社の統治組織を整備し,ベンガル地方のディーワーニー (地租徴税権および財政管理権) をムガル皇帝より得た。 1767年帰国。議会から,在任中の施政と私欲に対して非難を受け,失意と病苦のうちに 1774年自殺した。

クライブ
Clive, Kitty (Catherine)

[生]1711. ロンドン
[没]1785.12.6. ツイックナム
イギリスの女優。旧姓 Raftor。 1728~41年,主としてドルアリー・レーン劇場で C.シバーのもとで活躍。 46~69年同劇場の D.ガリック一座で,人気女優として多くの舞台に立つ。美貌ではないが,溌剌とした魅力をもち,喜劇やファルス (笑劇) を得意とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クライブ」の意味・わかりやすい解説

クライブ
くらいぶ
Robert Clive
(1725―1774)

イギリス東インド会社の軍人、ベンガル知事(在任1757~1760、1765~1767)。第二次カルナータカ戦争で南インドにおけるイギリスの覇権を確立し、1757年のプラッシーの戦いでベンガルの軍事、政治、商業上の支配を達成し、バクサルの戦いののちムガル皇帝から、ベンガル、ビハール、オリッサ(現、オディシャ)3州の収租権を譲渡させて、会社の領土支配の端緒をなした。彼は在地支配層内部の敵対関係や彼らと在地大商人層との矛盾を巧妙に利用しながら、これら一連の事業を遂行した。1762年功績により男爵に叙せられた。晩年は在任中の会社職員の腐敗や蛮行の責任と彼自身の蓄財とが世論の追及を受け、自殺を遂げた。

[高畠 稔]

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百科事典マイペディア 「クライブ」の意味・わかりやすい解説

クライブ

英国の政治家,軍人。イギリス東インド会社社員。インドの英領植民地化の立役者。1744年インドに渡り,1751年アルコット籠城(ろうじょう)により勇名をはせ,1757年プラッシーの戦でフランスと結んだベンガル太守の連合軍を破り,インドにおける英国支配の基礎を築いた。帰国後議会でその悪政・収賄などを告発され,抗弁に疲れ自殺した。

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世界大百科事典(旧版)内のクライブの言及

【プラッシーの戦】より

…会社商館の要塞化問題を機に,両者の軍事的衝突へと事態は発展した。R.クライブの率いる会社軍は,反シラージュ派の将ミール・ジャーファルとひそかに結んで,ベンガル地方のプラッシーPlasseyでフランスと結んだ太守の軍勢を敗退させた。会社は,新太守にミール・ジャーファルを据え,貿易上の特権だけでなく,24パルガナ地方のザミーンダーリー(一種の領主権)と賠償金を獲得した。…

※「クライブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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