クラブ・ミュージック(読み)くらぶみゅーじっく(英語表記)club music

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラブ・ミュージック」の意味・わかりやすい解説

クラブ・ミュージック
くらぶみゅーじっく
club music

1980年代後半から世界的に流行した、ナイトクラブでのダンス文化の中から発生したダンス・ミュージックの総称ハウステクノトランスヒップ・ホップ、トリップ・ホップ、ドラムンベースなどの下位ジャンルがある。70年代のディスコ・ブームは、DJの流すレコード音楽によって踊る文化を定着させたが、80年代中盤になるとディスコはクラブと呼ばれるようになり、DJが制作する新たなダンス・ミュージックに注目が集まるようになった。

 基本的にはミュージシャンの演奏を録音したものであったそれまでのダンス・ミュージック(ファンク、ディスコなど)とは異なり、クラブ・ミュージックの制作には必ずしも楽器の演奏能力を必要としない。DJがクラブで行うDJプレイ、さまざまなレコードを2台のターンテーブルによってつなぎ合わせミックスする実践の延長線上にクラブ・ミュージックは存在する。リズム・マシンによってダンスに適したビートを刻み、サンプラーによって既存のレコードからサウンドのサンプルを採取し配置したり、あるいはシンセサイザープログラミングによって楽曲を構築するのがクラブ・ミュージックの典型的な制作手法である。

 DJによる音楽制作によって生まれた最初の音楽はヒップ・ホップである。70年代中ごろのニューヨークのブロンクス地区では、同じレコードを2枚用い、2台のターンテーブルを用いて、曲の中の気に入った箇所を繰り返し流して(これをブレイクビーツと呼ぶ)ダンスすることが行われていた。DJが生み出すビートに合わせてしゃべるラップや、アクロバティックなブレイクダンス地下鉄の車体などに色鮮やかに落書きされるグラフィティなどはヒップ・ホップと総称され、アメリカの都市の黒人文化として発達していく。ヒップ・ホップは80年代に入ると世界的に流行し、DJが新たなミュージシャンとして認められはじめる。

 一方、70年代後半のニューヨークやシカゴのナイト・クラブはディスコ・ブームに沸いていたが、77年にニューヨークからシカゴに招かれたDJ、フランキー・ナックルズFrankie Knuckles(1955― )は、ディスコ・ミュージックに限らない多様なジャンルのレコードをミックスしたプレイで評判を呼んだ。やがて、ナックルズや周囲のDJたちはそのようなDJプレイの延長線で、自ら音楽制作を開始する。ナックルズを呼び寄せたクラブ、ウェアハウスの名を取って、ハウスと呼ばれたこのクラブ・ミュージックは、ディープ・ハウスやガラージ・ハウスといったさまざまなサブジャンルを生み、やがて大西洋を越えてイギリスへ浸透する。

 イギリスでは1988年ころからハウスが大流行し、社会問題化するまでに至った。イギリスで人気になったスタイルはアシッド・ハウスという幻覚的なベース音を持つハウスで、さらにブリープ・ハウス、アンビエント・ハウスといった新たなハウスが生まれる。

 同じころ、アメリカのデトロイトから登場したのがテクノであった。デリック・メイDerrick May(1963― )らはドイツのテクノポップ・グループ、クラフトワークのサウンドをクラブ・ミュージックに応用し、サンプリングに頼らずシンセサイザー中心に制作される電子ダンス音楽を生み出す。デトロイト・テクノと呼ばれた彼らの音楽は、イギリスのダンス・シーンで評価され、やがてヨーロッパ各地で盛んになる。テクノは次第に単なるダンス・ミュージックではなく、シリアス・ミュージックとも接近し、新しい世代の電子音楽として人気を得る。

 90年ころのイギリスでは、クラブ・パーティーが大規模化し、野外で数万人規模の客を集めるパーティーがレイブと呼ばれ人気を博していた。このころのレイブで好まれた音楽は派手なブレイクビーツを多用するハードコア・テクノと呼ばれた商業的な音楽だったが、やがてそこからレゲエなどの影響を受け、複雑なビートを構築する音楽が派生してくる。ジャングルと呼ばれたこの音楽は次第に洗練され、テクノやハウスの影響を受けながら、ドラムンベースという新たなクラブ・ミュージックに結実する。

 レイブはヨーロッパから世界中に広まっていくが、しばしば自然に包まれた野外で行われたことから、エコロジーやシャーマニズムなどのヒッピー的な思想と共鳴する流れが起こった。ここから、サイケデリックな感覚を強調したテクノやハウスが好まれる中、やがてトランスと呼ばれる音楽が生じ、90年代のレイブで聞かれる中心的なジャンルとなった。

 一方、イギリスでは黒人音楽の愛好家が独自のクラブ文化を形成していたが、90年代に入るとハウスやテクノなどの影響で音楽的な雑食性を示すようになり、その流れでジャズのサウンドをクラブ・ミュージックに取り入れたアシッド・ジャズというジャンルが生じる。また、アシッド・ジャズやヒップ・ホップ、レゲエやダブの影響を受け、90年代中ごろにはトリップ・ホップ(あるいはアブストラクト・ヒップ・ホップ)が発生する。いずれもクラブ・ミュージックの特性――多様な音楽リソースのDJ感覚による編集――を強く示す音楽ジャンルである。

[増田 聡]

『野田努・『宝島』編集部編『クラブ・ミュージックの文化誌――ハウス誕生からレイヴ・カルチャーまで』(1993・JICC出版局)』『S・H・Jr.フェルナンド著、石山淳訳『ヒップホップ・ビーツ』(1996・ブルース・インターアクションズ)』『マーティン・ジェイムズ著、バルーチャ・ハシム訳『ドラムンベース――終わりなき物語』(1998・ブルース・インターアクションズ)』『野田努著『ブラック・マシン・ミュージック――ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ』(2001・河出書房新社)』

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百科事典マイペディア 「クラブ・ミュージック」の意味・わかりやすい解説

クラブ・ミュージック

クラブ・サウンド,ハウス・ミュージック,ハウス・サウンドとも。ディスク・ジョッキー(DJ)がかける音楽を楽しむクラブ(ダンス・ホール)を中心に行われるダンス音楽の総称。1980年代中頃米国に出現,急速に世界的に広まる。DJは,何種類かの既成曲を好みによってサンプリング,編集したダンス音楽をかける。この種の音楽をやるディスコをクラブと呼び,従来のディスコと区別するようになった。→ジャングル

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