出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
ギリシア教父。アテナイの生れと伝えられる。若いころキリスト教に改宗し,師を求めて各地を遍歴。アレクサンドリアの教理学校学頭のパンタイノスPantainosに師事し,2世紀末にはパンタイノスのあとを継ぐ。弟子にオリゲネスがいた。202年ごろ迫害でアレクサンドリアを追われ,カッパドキアに逃れ,その地で没した。著述のうち《プロトレプティコス(勧告)》は,ギリシア人を対象に異教の誤りを指摘し,キリスト教への勧めを格調高く述べたもの。《教育者》はグノーシス派の誤謬とキリスト教徒の道徳を論じたもの。そのほか,草稿のまま終わった《ストロマタ(雑録)》がある。彼はギリシア的教養の価値を積極的に認めようとした教会人らしからぬ教父で,グノーシスをはじめ異端の説にもよく通じていた。また比喩的な聖書解釈はオリゲネスの先駆をなすものといってよい。
執筆者:森安 達也
ローマの第2あるいは第3代監督。96-97年ころローマからコリントスの教会にあてて書かれた《クレメンスの第1の手紙》の著者と考えられる。初代教会で広く認められていた伝承によれば,彼はペテロの直接の後継者で,ペテロにより監督に任命されたと言われている。この説は今日では認められないが,クレメンスに対する高い評価の一面を物語るものと言えよう。彼の名を付した文書が多く存することも,その当時の彼に対する一般の見方を示すと言えよう。彼自身も使徒の後継者であるとの自覚をもち,その著作においては文体,形式をパウロの手紙にならい,使徒的権威をもって教えている。
執筆者:川村 輝典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「トウェーン」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…(2)180年ころ,パンタイノスによりアレクサンドリアに設立された一種の私塾(アレクサンドリア教校)に形成された学派。この教校はアレクサンドリアのクレメンス,オリゲネスへと継承され,新入信者へのキリスト教教理の問答による教授が行われた。その学風は聖書を比喩的に解釈し,〈旧約〉を〈新約〉の予型とみなすところに特色があり,聖書の文献学的研究を重視するアンティオキア学派に対する。…
… 古代東方神学はギリシア的なテオロギアの名称と思惟方法を取り入れてキリスト教を弁証しようとする2世紀のユスティノスらの弁証論者にはじまる。アレクサンドリアのクレメンスのあとをうけてこの方向で最初に体系的な神学を生み出したのは3世紀のオリゲネスである。その著《原理論》は教会的信仰を土台としつつ,解釈学的意図を明確にした聖書釈義を駆使して思弁的にも高度に展開された教義学である。…
…キリスト教徒の迫害についてはタキトゥスなどの史家も触れているので,われわれは初代教会の歴史をある程度は知っていると思いがちであるが,実際には,教義,典礼,教会組織に関する確実な史料はきわめて乏しい。1世紀末の使徒教父クレメンスがコリント教会にあてた《クレメンスの第1の手紙》を見ると,すでにローマの教会がコリント教会の内紛に対し使徒の権威を主張している点が注目される。 キリスト教は都市型の宗教で,都市を中心に教会を築いていった。…
…96‐97年ころ,ローマ教会の名でコリント教会にあてて書かれた手紙で,同教会内の混乱を収拾することが直接の目的であった。実際の著者はローマの第2あるいは第3代監督クレメンスといわれ,通常,偽書である第2の手紙と区別して《クレメンスの第1の手紙》と呼ばれる。本書の構成を見ると,最初から公の礼拝において朗読されるようにもくろまれたことがわかる。…
※「クレメンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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