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アビニョン Avignon

翻訳|Avignon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アビニョン
Avignon

フランス南東部,ボークリューズ県県都。古代名アウェンニオ Avennio。プロバンス地方の商業,文化,観光の中心都市。ローヌ川左岸,山峡から平野に開いた三角州の頂点に位置する。ローヌ川の渡河点にあたり,交通の要地として発展。ローマ時代は小都市にすぎなかったが,9~12世紀にプロバンス地方の辺境地区の中心都市となった。 12世紀末に半独立国を形成。アルビ派に荷担したが,ルイ8世のカトリック軍に征服され,プロバンス伯に与えられた (1226) 。町はローマを逃れた教皇が7代にわたってとどまったアビニョン捕囚時代 (→教皇のバビロン捕囚 ) に特に発展した。その後フランス革命後の 1791年まで教皇領。第2次世界大戦中の空襲にも,中心部は戦禍を免れた。聖ベネゼが建設 (1177~88) した橋は崩壊と修復を繰り返し,1680年以来放棄された。民謡『アビニョンの橋』は有名。町を囲む城壁 (14世紀) もほとんど残っており,教皇の旧宮殿 (1334~42) ,新宮殿 (1342~52) ,ロマネスク後期の大聖堂などをはじめ,14~16世紀の聖堂,17~18世紀の城館など史跡建築物が多い旧市街は,1995年世界遺産の文化遺産に登録。ビルヌーブマルティニャン館 (18世紀) は美術館に転用され,優れた古代,中世の彫刻を所蔵する。パリ-リヨン-マルセイユを結ぶフランス南北鉄道,幹線道路沿いにある交通の要衝で,化学,皮革加工,鉄鋼,繊維,食品の工業が発達。人口8万 9440 (1990) 。

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デジタル大辞泉の解説

アビニョン(Avignon)

フランス南部、ローヌ川下流に臨む古都。ボークリューズ県の県都で商業・工業が発達。中世の遺跡も多く、教皇宮殿やサンベネゼ橋ロシェデドン公園などを含む地区は1995年に「アビニョン歴史地区:教皇宮殿、大司教座の建造物群、およびアビニョン橋」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

アビニョン

フランス南東部,ボークリューズ県の県都。パリ南南東約700km,ローヌ河岸に位置する。商業の中心地で,食品加工・冶金・繊維・製紙工業が行われる。1309年から100年以上にわたってローア教皇庁が所在し,この間キリスト教枢要の地として発展した。

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世界大百科事典 第2版の解説

アビニョン【Avignon】

フランス南東部,ボークリューズ県の県都。人口8万9000(1990)。ローヌ川右岸にあり,河口から約70km上流,ローヌ川が河口にちかい平原に入る地点にひらけた町で,商業・文化の中心地。系譜上はガリア人の集落に由来するが,アビニョンが歴史上の重要な地位をえるのは,14世紀初頭になってからのことである。教皇のアビニョン捕囚によって,1309年教皇庁がこの都市に移転され,教会大分裂の時代を含めて,100年以上にわたって所在した。

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大辞林 第三版の解説

アビニョン【Avignon】

フランス南部、ローヌ川下流東岸にある古都。中世期の古い建造物が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アビニョン
あびにょん
Avignon

フランス南東部、ボークリューズ県の県都。人口8万5935(1999)。マルセイユの北西約100キロメートルのローヌ川とデュランス川の合流地点にある。行政、商業、宗教の中心地で、大学もあるが、観光の中心地としてよく知られる。工業も発達し、化学、精錬、機械、家庭用品、織物、食料品(缶詰、ビスケットなど)、紙、印刷などの各工業が盛んである。鉄道、自動車道など交通の要衝にあるため商業はよく発達し、とくに果実、野菜、ぶどう酒などの農産物の大市場がある。14世紀に教皇が居住したゴシック様式の宮殿がいまも残り、都市を囲む城壁、ローヌ川に架けられたサン・ベネゼ橋(12世紀建造。17世紀以来橋の半分が残る)、大聖堂などの歴史的建築物とともに観光の対象である。毎年夏に開催される演劇祭は有名。なお、アビニョンの歴史地区は1995年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[青木伸好]

歴史

古くはマッサリア(マルセイユの古名)の、ついでケルト人の商業拠点であったが、ローマ帝政の初期にローマの植民地となった。6世紀になってフランク人の支配下に置かれ、8世紀にはプロバンス人がフランク王国の宮宰カール・マルテルに反抗してアラブ人の救援を求めたため、二度にわたってカールの略奪を受けた(736、737)。11世紀になってビコント(副伯)たちの統治ののち、1136年(または1129年)コンシュラ(市参事会)の都市となった。アルビジョア十字軍(1209~1229)のときには異端派のトゥールーズ伯レイモン6世の側にたったので、フランス国王ルイ8世の軍事的制圧下に置かれた(1226)。その後、ルイ9世の王弟シャルル・ダンジューとアルフォンス・ド・ポアチエの共同統治を受け、13世紀末プロバンス伯領に併合された。
 国王フィリップ4世の時代、ローマ教皇はアビニョンに教皇座を移して国王の支配下にたつ、いわゆる教皇の「バビロン捕囚」(アビニョンの幽囚ともよばれる)の時代となったが(1309~1377)、このことはアビニョンに繁栄をもたらし、多くの王侯貴族、学者、詩人、芸術家がこの町を訪れ、また居住した。1348年アビニョンはプロバンス伯家によって教皇に売却され、以後フランス革命に至るまで教皇庁の領有下に置かれることになった。
 ブナスク伯領とともにフランスに併合されたのは1791年で、追認されたのは1797年のトレンティーノの和約によってである。[志垣嘉夫]

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世界大百科事典内のアビニョンの言及

【国際ゴシック様式】より

…事実,この概念の成立を裏づけるように,この時期には年代が確定されても,制作地の推定が困難な作品が多数存在している。 国際的交流は,1320年代すでにジョットにはじまるイタリア絵画の革新の影響として,空間の存在を暗示する立体感や遠近感表現の画面への導入や,感情表現に示される人間解釈の深化がアルプス以北の作品に散見されることから立証されているが,14世紀中葉,教皇の都アビニョンと皇帝の都プラハでの造営事業を通じて本格化する。アビニョンに集まった工人の出身地は多彩であるが,S.マルティーニ,ジョバネッティMatteo Giovanetti(生没年不詳)などシエナ派の画家が招かれ教皇庁壁画,祭壇画,写本挿絵制作などに活躍し,アビニョンを中継地としてシエナ派の影響が国際的に波及した。…

※「アビニョン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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