イベリア半島南部,メセタとベティカ山脈の間の構造谷を北東から南西にアンダルシア地方を流下する川。川名はアラビア語起源で大河の意。全長657km,流域面積5万7000km2。ポソ・イ・カソルラ山地(ハエン県)に源を発し,カディス県のサンルカル・デ・バラメダで大西洋に入る。グアディアナ・メノル,グアダホス,ヘニル,グアダイラなどシエラ・ネバダ山脈に源を発する川やグアダリマル川などの支流をもち,セビリャ近くまでほぼ東西に流れる中流域では,しばしば細かく曲流して第三紀の沖積層を深くうがっており,下流域のデルタ,沼沢地ラス・マリスマスと対照的な景観を示している。乾燥地帯にあって重要な農業用水を供給し,果樹,工芸作物などを栽培する灌漑地域が形成されている。灌漑の歴史は古く,イスラム支配時代の灌漑技術の導入が歴史的に有名。現在では1万haを灌漑するハエン計画のような農業開発が行われている。流域にはコルドバ,セビリャの都市があり,運河によってセビリャまで3万トンの船が航行できる。
執筆者:栗原 尚子
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… コバドンガの戦からも推測されるように,イスラム教徒のイベリア征服は完全ではなく,その後もこの欠陥を補う努力は一度もなされなかった。アル・アンダルス――イスラム教徒は半島の征服部分をこの名で呼んだ――の首都はコルドバに置かれ,東部のエブロ川流域と南部のグアダルキビル川流域にはやがてイスラム社会が定着したのに対して,北部と西部は初めから彼らの関心外に放置された。加えてアル・アンダルス内部は紛争が尽きず,後ウマイヤ朝の成立(756)も事態収拾への転機とはならなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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