コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

グロムイコ グロムイコGromyko, Andrei Andreevich

4件 の用語解説(グロムイコの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

グロムイコ
Gromyko, Andrei Andreevich

[生]1909.7.18. ベラルーシゴメリ
[没]1989.7.2.
ソ連の外交官。 31年入党。 1934年ミンスク農業経済大学卒業。モスクワのソ連アカデミー経済研究所員,『経済学の諸問題』誌編集委員会書記などを経て,39年外務省アメリカ局長。 39~43年アメリカ駐在大使館参事官,43~46年アメリカ駐在大使 (キューバ駐在大使兼任) 。 45年国連創設の国際会議のソ連代表。 46~48年国連安全保障理事会ソ連代表,47年外務次官に就任し,51年の対日講和サンフランシスコ会議にソ連首席代表として出席,西側の単独講和に反対した。 52~53年イギリス駐在大使,56年党中央委員となり,57年外相に就任,以後 28年間にわたり外相として活躍。 73年党政治局員,83年第一副首相兼務,ゴルバチョフ新政権の成立後まもなく外相ポストをシェワルナゼに明渡し最高会議幹部会議長となったが 88年解任,政治局員からも外され 89年4月には中央委員も辞任した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

グロムイコ

ソ連の政治家,外交官。1939年以来一貫して外交問題に従事。第2次大戦中はテヘランヤルタポツダム各会議に列席。国連代表,外務次官等を経て1956年以降共産党中央委員,1957年―1985年外相,1983年―1985年第一副首相兼任,1985年―1988年最高会議幹部会議長。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

グロムイコ【Andrei Andreevich Gromyko】

1909‐89
ソ連邦の外交官,政治家。現在の白ロシア共和国ゴメリ州の農家に生まれ,1932年,経済大学を卒業後,研究機関に勤務していたが,39年から外交畑に転じ,まず外務人民委員部米州諸国課長,ついで駐米大使に任命され,第2次世界大戦中の重要な国際会議にも参加した。46‐49年,国連安全保障理事会ソ連代表として活躍し,しばしば拒否権を行使したところから,〈ミスター・ニェット〉の異名を与えられた。その後外務次官,駐英大使を歴任し,53年には再び外務次官に戻り,57年2月には外務大臣に就任し,85年7月まで務めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

グロムイコ
ぐろむいこ
Андрей Андреевич Громыко Andrey Andreevich Gromko
(1909―1989)

ソ連の政治家。7月6日ベロルシア(現ベラルーシ)のミンスク近郊で生まれる。1931年に入党。ミンスク農業大学、ソ連農業経済研究所大学院で学んだのち、1936年に経済研究所研究員となる。1939年に外務省に転じ、駐米大使、国連安保理常任代表、外務次官、同第一次官、駐英大使などを経て、1957年2月に外務大臣。以来1985年7月まで28年間その職にあった。1956年経済学博士。党でも1952年に中央委員候補、1956年に中央委員、1973年4月には職業外交官としてソ連史上初めて政治局員となる。1983年3月には外相兼務のまま第一副首相に昇進、1985年3月のゴルバチョフ書記長の選出にあたっては推薦演説を行った。同年7月外相を辞してソ連最高会議幹部会議長に選出され、国家元首となる。1988年に辞任。第二次世界大戦中から戦後にかけてのテヘラン、ヤルタ、ポツダムの各会議をはじめ、戦後の多くの重要会議に出席。長年の経験を生かし、外交に手腕を発揮した。[中西 治]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

グロムイコの関連キーワードスバルレオポルド2世父の日ピーター・ドラッカーゴッチェジェーンズネットー山路愛山超変成作用分化作用

今日のキーワード

エンゲルの法則

家計の総消費支出に占める飲食費の割合 (エンゲル係数 Engel coefficientと呼ぶ) は,所得水準が高く,したがって総消費支出が大きいほど低下するというもの。エンゲル係数は国民の消費生活面...

続きを読む

コトバンク for iPhone

グロムイコの関連情報