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ケナン Kennan, George Frost

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ケナン
Kennan, George Frost

[生]1904.2.16. ウィスコンシン,ミルウォーキー
[没]2005.3.17. ニュージャージー,プリンストン
アメリカの外交官,外交史家。 1925年プリンストン大学卒業。 1929~31年ベルリン大学でロシア語,ロシア史を学び,1945~46年モスクワ大使館付参事官,1947~49年国務省政策企画委員長,1949~50年国務省顧問,1952~53年駐ソビエト連邦大使,1961~63年駐ユーゴスラビア大使などを歴任。『フォーリン・アフェアーズ』 Foreign Affairs誌 1947年7月号に"X"という署名で「ソ連の行動の源泉」 The Sources of Soviet Conductと題しソ連の膨張主義的傾向を阻止する政策を発表した。この論文でケナンの名が世界的に知られると同時に,対ソ封じ込め政策 containment policyは冷戦時代におけるアメリカ外交の大原則および西側諸国全体の対外政策の基本原理となった (→コンテインメント ) 。 1950年以降 (大使在任期間を除き) プリンストン大学の高等学術研究所で米ソ関係史の研究に従事し,1974年同大学名誉教授。この間 1951年シカゴ大学,1957~58年オックスフォード大学,1960,1966~70年ハーバード大学で教鞭をとった。著書『アメリカ外交 50年』 American Diplomacy,1900-1950,(1951) ,『レーニン,スターリン時代の西側とソ連』 Russia and the West under Lenin and Stalin (1960) など。

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デジタル大辞泉の解説

ケナン(George Frost Kennan)

[1904~2005]米国の外交官・国際政治学者。駐ソ連大使・プリンストン高等研究所教授。ソ連専門家として対ソ封じ込め政策提唱したが、のちに米国の冷戦政策を批判してベトナム戦争に反対した。米ソ核戦力半減・核兵器先制不使用を論じたことでも知られる。著「アメリカ外交50年」「ソヴェト革命とアメリカ」など

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百科事典マイペディアの解説

ケナン

米国のジャーナリスト。オハイオ州生れ。極東地方の先住民の生活を描いた《シベリアのテント生活》(1870年),世界的な反響を呼んだ《シベリアと流刑制度》2巻(1891年),《戦うキューバ》(1899年)などのルポルタージュがある。

ケナン

米国の外交官。約30年間の経歴をもち,旧ソ連の事情に詳しく,現実主義的外交政策の提唱者として著名。国務省政策部長在職中の1946年封じ込め政策を提唱。駐ソ大使,駐ユーゴ大使を歴任。
→関連項目ケナン

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世界大百科事典 第2版の解説

ケナン【George Kennan】

1845‐1924
アメリカのジャーナリスト。オハイオ州に生まれ,早くから電信技手として働いた。当時シベリア経由でヨーロッパとアメリカを結ぶ大陸間電信線の架設計画が進行中で,1865年露米電信会社の募集に応じて,その現地調査に参加。生々しい体験をもとに,極東地方の原住民の生活と習俗を克明に描いた《シベリアのテント生活Tent‐life in Siberia》(1870)を刊行した。85‐86年にはニューヨークの《センチュリー》誌の求めで再びロシアを訪れ,91年に《シベリアと流刑制度Siberia and the Exile System》(2巻)を発表。

ケナン【George Frost Kennan】

1904‐
アメリカの外交官,歴史家。1925年プリンストン大学を卒業し,国務省に入る。ベルリンで語学研修員としてロシア語を学ぶ。33年モスクワに赴任。第2次大戦後,アメリカ国務省の初代の政策企画委員会Policy Planning Staffの長として,冷戦期の対ソ外交戦略の策定に重要な役割を演じた。しばしば対ソ封じ込め戦略の立案者ともいわれるが,その後52年から53年にかけて駐ソ大使,61年から63年にかけて駐ユーゴスラビア大使を務め,西側有数のソ連通である。

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大辞林 第三版の解説

ケナン【George Frost Kennan】

1904~2005) アメリカの外交官。ソ連専門家。1947年ソ連封じ込め政策を提唱。60年代のベトナム軍事介入には反対、80年代には米ソ核戦力半減論・核兵器先制不使用論を展開。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ケナン
けなん
George Frost Kennan
(1904―2005)

アメリカの外交官、外交評論家。ミルウォーキー生まれ。1925年プリンストン大学卒業。1926年に国務省入省、職業外交官としておもにソ連・東欧関係の職務を歴任。1933年に初代駐ソ大使ブリットとともにモスクワに赴任し、以後二等書記官、公使として何度かソ連に駐在した。1947年初代の国務省政策企画部長。同年7月外交評論誌『フォーリン・アフェアーズ』誌に匿名で発表した、いわゆる「X論文」(「ソ連の行動の源泉」)では、ソ連の内政の自由抑圧性と、対外膨張性を強調し、現実主義的対応としての「封じ込め」を提唱した。この主張はアメリカ国内の反ソ派を力づけ、対ソ強硬政策に理論的背景を提供することとなった。1952年5月駐ソ大使となったが、同年10月ソ連政府の退去要求で辞任。退官後はプリンストン高等研究所などでソ連研究や外交史の研究を深めた。1961~1963年駐ユーゴスラビア大使。ベトナム戦争に際しては米軍の早期撤兵を主張。レーガン政権の核軍拡による対ソ強硬政策などを批判した。冷戦終結後も、核兵器の削減や地球環境の危機への取り組みの重要性を強調、また晩年の2002年にもブッシュ政権の対外政策を批判するなど、活発な評論活動を続けた。[遠藤雅己・村松泰雄]
『奥畑稔訳『ジョージ・ケナン回顧録』(1973・読売新聞社) ▽ケナン著、佐々木坦・佐々木文子訳『核の迷妄』(1984・社会思想社) ▽ケナン著、近藤晋一・飯田藤次他訳『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)』

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世界大百科事典内のケナンの言及

【冷戦】より

…戦後アメリカは,いまだ明確な対ソ政策を確定できず,原子力管理や対ソ経済協力をとおして妥協する動きもみられたが,ソ連の東欧における支配圏の確立やイランおよび東地中海での行動から,〈世界のならず者〉というソ連イメージを固めていった。1946年2月スターリンが両体制の対立と戦争の不可避を説いた演説を行った直後,アメリカは,当時駐ソ米代理大使であったG.F.ケナンからソ連の対外膨張を分析した〈長文電報〉をうけとり,これらを契機として新たな対ソ方針の確定と国内での準備が進められていくことになった。チャーチルの〈鉄のカーテン(バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステにいたる線をいう)〉演説)をまじえて,ソ連との対立の不可避性が強調され,対ソ強硬姿勢が確立されてゆき,核の管理に関してもアメリカの核独占を維持する方向が出されていった。…

※「ケナン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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