ケリー(Wynton Kelly)(読み)けりー(英語表記)Wynton Kelly

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ケリー(Wynton Kelly)
けりー
Wynton Kelly
(1931―1971)

アメリカのジャズピアニスト。西インド諸島ジャマイカに生まれ、4歳のとき両親とともにアメリカに移住し、ニューヨークブルックリンで育つ。わずか12歳でプロ・ミュージシャンとして活動し、15歳でリズム・アンド・ブルース・バンドの一員としてカリブ海地方を演奏旅行する。その後数年はリズム・アンド・ブルース・バンドで経験を積むが、テナー・サックス奏者エディ・ロックジョー・デービスEddie Lockjaw Davis(1922―1986)、歌手でもあるアルト・サックス奏者エディ・クリーンヘッド・ビンソンEddie Cleanhead Vinson(1917―1988)らとの付き合いから、ジャズも演奏するようになる。

 1951年、19歳でブルーノート・レーベルに初リーダー作を吹き込み、続いてテナー・サックス奏者レスター・ヤング、トランペット奏者ディジー・ガレスピーと共演する。1952年から1954年まで兵役につき、除隊後再びガレスピーのサイドマンや、歌手のダイナ・ワシントンDinah Washington(1924―1963)の伴奏者を務める。また短期間だが、ベース奏者チャールズ・ミンガスのバンドに在籍し、1957年以降は自分の率いるピアノ・トリオで活動する。またこの時期はサイドマンとしてもブルーノート・レーベルをはじめ、サボイ、リバーサイドコンテンポラリーマーキュリー、ビー・ジェイなど、多くのジャズ・レーベルに録音を残している。1959年、トランペット奏者マイルス・デービスのセクステットにビル・エバンズ後任として入団し、マイルスの歴史的アルバム『カインド・オブ・ブルー』のセッションに参加する。1963年までマイルス・デービス・バンドに在籍し名サイドマンぶりを見せるが、その後は同バンドにおけるリズム・セクションである、ベース奏者のポール・チェンバーズPaul Chambers(1935―1969)、ドラム奏者のジミー・コブJimmy Cobb(1929―2020)とトリオを結成し、1964年(昭和39)来日した。

 彼のピアノ・スタイルはバド・パウエルの影響を受けたものだが、早い時期にオリジナリティを確立させ、心地よいスウィング感覚と歯切れの良いリズムでピアニストとしての評価を定着させた。またサイドマンとしての能力もずば抜けており、1950年代から1960年代にかけての名盤といわれるアルバムには、彼の名前がクレジットされていることが多い。例をあげれば、1959年にマイルス・バンドのサイドマンたちで制作した『キャノンボール・アダレイクインテット・イン・シカゴ』、1962年に録音されたギター奏者ウェス・モンゴメリーのアルバム『フル・ハウス』などがある。本人のリーダー作は思いのほか少ないが、これは当時ピアノ・トリオ・アルバムに対する需要が少なかったことと関係がある。なかでは1960年に録音されたトリオ作品『ケリー・アット・ミッドナイト』が優れている。1971年カナダのトロントにて病死。

[後藤雅洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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