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ヤング ヤング Yonge, Charlotte Mary

29件 の用語解説(ヤングの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヤング
ヤング
Yonge, Charlotte Mary

[生]1823
[没]1901
イギリス女流作家。キーブルの影響を受け,オックスフォード運動の普及に努めた。出世作『レドクリフの相続人』 The Heir of Redclyffe (1853) をはじめ 160冊をこえる著作がある。

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ヤング
ヤング
Young, Andrew

[生]1885.4.29. エルギン
[没]1971.11.25.
イギリスの詩人。野草の研究家。エディンバラ大学に学ぶ。『夜の歌』 Songs of Night (1910) が処女詩集。自然詩人として認められ,自然抒情詩を集めた『全詩集』 Collected Poems (60) のほか,長詩『死後の世界』 Into Hades (52) などがある。

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ヤング
ヤング
Young, Arthur

[生]1741.9.11. ロンドン
[没]1820.4.20. ロンドン
イギリスの農学者,農業革命の推進者。内外の農業状態の観察と記録を体系的にまとめて著作を発表。農業経営を研究,農業技術の改善と大農経営の普及に努めた。 1784~1809年『農業年報』 Annals of Agricultureを編集,発行した。

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ヤング
ヤング
Young, Brigham

[生]1801.6.1. バーモント,ホワイティンガム
[没]1877.8.29. ソルトレークシティー
アメリカモルモン教会指導者。 1832年モルモン教に改宗し,35年その十二使徒の一人に選ばれ,創始者 J.スミスの死後指導者となった。ソルトレークシティーを基盤に布教活動を行い,ユタ州に独立国家を建て,連邦政府と対立したが (1849) ,武力による圧迫に屈し,以後教会の仕事に専念。

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ヤング
ヤング
Young, Edward

[生]1683.7.3.〈洗礼〉アパム
[没]1765.4.5. ウェリン
イギリスの詩人。オックスフォード大学に学び,聖職についた。機知にあふれた風刺詩『普遍的情熱,すなわち名声の愛』The Universal Passion; The Love of Fame(1725~28)は発表当時大いに称賛されたが,今日ヤングの名声は『生,死,永生に関する夜想詩』The Complaint: or, Night Thoughts(1742~45)にかかっている。

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ヤング
ヤング
Young, Francis Brett

[生]1884.6.29. ウースターシャー,ヘイルズオーエン
[没]1954.3.28. ケープタウン
イギリスの小説家,詩人。極東で船医をつとめ,第1次世界大戦中は軍医として東アフリカに従軍。主要作品は『クレアの肖像』 Portrait of Claire (1927) ,南アフリカを舞台にした『黄金の町』 The City of Gold (39) ,イギリス史を概観した長詩『島』 The Island (44) など。

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ヤング
ヤング
Young, John Watts

[生]1930.9.24. サンフランシスコ
アメリカの宇宙飛行士ジョージア大学卒業後,海軍に入り,テストパイロットとなる。 1962年第2期宇宙飛行士の一人に選ばれ,65年3月ジェミニ3号で V.グリソムとともに地球を3周した。

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ヤング
ヤング
Young, Kimball

[生]1893.10.26. ユタ,プロボー
[没]1973
アメリカの社会心理学者。シカゴ大学で修士,スタンフォード大学で博士の学位を取り,ウィスコンシン大学教授,クイーンカレッジ教授を経て,ノースウェスタン大学の社会学部部長に就任。幅広い社会学の体系化に努め,パーソナリティ,集団 (相互作用) ,文化の全体をとらえるのが社会学であるとした。

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ヤング
ヤング
Young, Lester Willis

[生]1909.8.27. ミシシッピウッドビル
[没]1959.3.15. ニューヨーク
アメリカのジャズテナーサックス奏者。黒人音楽家の子として,10歳からファミリーバンドのドラムを受持ち,ニューオーリンズ地方を巡業,13歳のときサクソフォーンに転向。5年後に独立し,キング・オリバー楽団などに加わり,カンザスシティーで名声を博した。

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ヤング
ヤング
Young, Pauline Vislick

[生]1896
[没]1977.1.27. カリフォルニアモデスト
ポーランド生れのアメリカの社会学者。 R.E.パークの影響を受け,都市の事例研究に従事し,のちに社会調査の専門家と目されるにいたった。事例研究における面接やデータ収集に関する方法論が高く評価されている。

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ヤング
ヤング
Young, Robert

[生]1657
[没]1700
イギリスの詐欺師。アイルランド生れ。 1680年頃証明書を偽造して聖職者になったが,ほどなく重婚罪で入獄。出獄後,カンタベリー大主教 W.サンクロフトの筆跡をまねて金持の聖職者に手紙を書き,大金をだまし取ったが,90年発覚してニューゲイト刑務所に投獄された。

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ヤング
ヤング
Young, Stark

[生]1881.10.11. ミシシッピ,コモ
[没]1963.1.6. ニューヨーク
アメリカの劇評家。テキサス大学その他で教鞭をとったのち,『シアター・アーツ』 (1921~40) ,『ニュー・リパブリック』 (22~47) ,『ニューヨーク・タイムズ』 (24~25) などで劇評を担当。

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ヤング
ヤング
Young, Thomas

[生]1773.6.13. サマセット,ミルバートン
[没]1829.5.10. ロンドン
イギリスの医師,物理学者,考古学者。ロンドン,エディンバラ各大学で古典語,古代東方語,数学,自然科学を学んだのち医学に転じ,1793年ロンドンの聖バーソロミュー病院の学生時代,見ようとする物に応じて眼球を調節するための筋肉があることを解剖学的に確認し,この業績によって翌 94年,王立内科医師会の会員に推薦された。

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ヤング
ヤング
Young

オーストラリア,ニューサウスウェールズ州南東部の内陸,キャンベラの北西 160kmにある町。ゴールドラッシュの歴史をもち,当時の反中国人暴動事件で知られる。グレートディバイディング山脈西斜面 (ウェスタンスロープ) 南部の小麦,果樹の集散・加工地。

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ヤング
ヤング
Young, Cy

[生]1867.3.29. オハイオ,ギルモア
[没]1955.11.4. オハイオ,ニューカマーズタウン
アメリカ合衆国プロ野球選手。本名 Denton True Young。大リーグで歴代最多勝利の記録をもつ偉大な右腕投手。通算成績にはいくつかの説があるが,勝利数は 509または 511,敗戦数は 313,315または 316といわれる。

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デジタル大辞泉の解説

ヤング(Arthur Young)

[1741~1820]英国の農学者。大農経営の主張者で、農業経営の近代化のために輪作農法の普及に尽くした。著「農業経済」など。

ヤング(Thomas Young)

[1773~1829]英国の医師・物理学者・考古学者。目について研究し、光の波動説、光が横波であること、色覚の三色説を提唱。弾性体のヤング率を発見し、小児の投薬量を算出するヤング式を定め、また、古代エジプト文字の解読にも貢献した。

ヤング(young)

若いこと。また、若者。青少年。「ヤングの集まる店」

ヤング(Denton True Young)

[1867~1955]米国のプロ野球選手。通称サイ=ヤング。速球投手として活躍し、最多勝利を5回、最優秀防御率を2回獲得した。通算511勝はメジャーリーグの歴代最多記録。毎年、リーグの最優秀投手に贈られる「サイ=ヤング賞」にその名を残す

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百科事典マイペディアの解説

ヤング

英国の医師,物理学者,エジプト学者。幼時から天才を発揮,初め医学を学んで1800年ロンドンで医師を開業。1801年―1803年王立研究所教授として物理学を研究。
→関連項目エネルギー干渉縞原色ニュートンリングフレネルローヤル・インスティチューション

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岩石学辞典の解説

ヤング

若返るという意味で,岩石が特定の若返りの方向に向かう場合に用いる[Bailey : 1934].youngingはfacingと同義.

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世界大百科事典 第2版の解説

ヤング【Arthur Young】

1741‐1820
イギリスの農業経済学者,農業著述家。サフォーク州の地主の家に生まれ,青年期に所領の経営に失敗,文筆に天職を見いだす。彼は封建的農業に反対し,資本家的な大規模集約的経営の利点を強調する。アイルランド,イタリアフランスおよび全イングランドの農村視察旅行に基づいたそのおびただしい著作のなかで,各地の先進地農業の経済的条件や耕作方法,技術進歩について観察,とくにノーフォーク地方の四圃輪栽式農法を推賞した。

ヤング【Brigham Young】

1801‐77
アメリカのモルモン教会の第2代会長。1829年ニューヨーク州モンロー郡に住みつき,モルモン教会初代会長J.スミスの家が近かったため,彼の教えや《モルモン経》に触れて32年に入信した。ヤングは移住・植民の才能があり,33年以降,教会の信者グループをニューヨーク州からオハイオ州ミズーリ州イリノイ州などに迫害を避けて移住させ,その間,イギリスへ伝道(1839‐41)にも出かけている。44年にスミスが暴徒によって暗殺されると実質上の指導者となり,47年当時メキシコ領であったグレート・ソルト・レーク地帯(現,ユタ州)に大移動を敢行して成功,正式に会長に就任した。

ヤング【Geoffrey Winthrop Young】

1876‐1958
イギリスの登山家。男爵の子として生まれ,弟は政治家となったEdward Hilton Young(1879‐1960)。ケンブリッジを出てイートン校ロンドン大学で教職についた。1905年ワイスホルン南西壁,06年ブライトホルンのヤング稜,テッシュホルン南西壁,11年グレポン東壁,グランドジョラス西稜などの初登攀を行い,近代登山史上に一時期を画し,第1次大戦で片足を切断したがその後も登山を続けた。

ヤング【James Young】

1811‐83
イギリスの工業化学者。グラスゴーに生まれ,1831年アンダーソン大学化学教授T.グレアムの助手となり,ボルタ電池の改良に従事,37年グレアムとともにロンドン大学に移り,師の実験を手伝った。48‐51年ダービーシャー州アルフレトンで原油から灯油と潤滑油を製造したが,油井が枯渇したため石炭の乾留からパラフィン(石蠟)を作る方法を研究,50‐51年その特許を得た。この技術をもとに60年代までにスコットランドの各地に工場を創設,ナフサ,潤滑油,燃料用パラフィン油,固形パラフィンを石炭やシェールから大規模に生産し,パラフィン工業の創始者となった。

ヤング【Lester Young】

1909‐59
黒人ジャズ・テナー・サックス奏者。愛称Prez(s)。1936年,カンザス・シティからニューヨークに出たカウントベーシー楽団のスター・ソリストとして一部から注目されたが,彼の革新的なスタイルはまだ一般が理解するに至らず,自分のバンドを率いたり,他のバンドに加わったりした。44‐45年入隊して黒人嫌いの上官からいじめ抜かれ,除隊後も以前ほど活動しなかった。彼自身はモダン・ジャズを好まなかったが,モダン期に入って彼のスタイルに影響を受けたプレーヤーが続々現れた。

ヤング【Thomas Young】

1773‐1829
イギリスの自然科学者。光学,機械学の分野で業績を残した。幼少のころより語学や数学の才に秀で,10代でラテン語ギリシア語フランス語イタリア語を始めアラビア語ヘブライ語などをマスター,またニュートンの《プリンキピア》や《光学》なども読破した。1792‐99年ロンドン,エジンバラゲッティンゲンで医学を学び,1796年ゲッティンゲン大学で生理光学の研究により学位を取得。この間1794年ローヤル・ソサエティ会員。

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大辞林 第三版の解説

ヤング【young】

若いこと。また、若い人。若者。 「 -のファッション」
他の外来語の上に付いて、「若い」の意で複合語をつくる。 「 --ジェネレーション」 「 --マン」

ヤング【Young】

〔Arthur Y.〕 (1741~1820) イギリスの農政家・著述家。内外各地の農業事情を視察、具体的な経営方策や技術を紹介。産業革命の進展下にあって農業革命を導く資本家的大規模集約経営の利点を主張した。のち、小ピットに認められ農務局長。著「農業経済論」「フランス紀行」など。
〔Charles Augustus Y.〕 (1834~1908) アメリカの天文学者。プリンストン大学教授。太陽コロナのスペクトルを初めて観測し、また太陽の反彩層を発見。
〔Edward Y.〕 (1683~1765) イギリスの詩人・牧師。代表作「夜の想い」は一八世紀ロマン主義運動に多大な影響を与えた。
〔Owen D. Y.〕 (1874~1962) アメリカの財務家。弁護士を経て、ゼネラル-エレクトリック社の顧問・会長を歴任。そのほか多くの会社・銀行に関与。第一次大戦のドイツ賠償問題についてヤング案を提出。 → ヤング案
〔Robert Y.〕 (1857~1922) イギリス人ジャーナリスト。1888年(明治21)来日。「コーベ-クロニクル」紙を創刊、のち「ジャパン-クロニクル」と改題。イギリス的合理主義の立場から日本政府の諸政策を辛辣に批判。神戸に没す。
〔Thomas Y.〕 (1773~1829) イギリスの医師・物理学者・考古学者。1801年、光の波動説を主張、光が横波であることを唱えた。また、表面張力の理論やヤング率、眼球の作用の研究、乱視の発見、色覚に関する三原色説の提示などのほか、「エネルギー」の語を初めて導入した。他方、古代エジプトのヒエログリフの一部の解読にも成功した。

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世界大百科事典内のヤングの言及

【農学】より

…タルJ.Tull(1674‐1740)は条播(じようはん)・中耕・除草,作物の栄養・生理,土壌改良などや農法について観察,考察したが,当時より,休閑三圃農法(コムギ,オオムギ,休閑)から改良三圃農法(コムギ,オオムギ,クローバー)へ,さらに四圃式輪栽農法(コムギ,飼料カブ,オオムギ,クローバー)として,地力増進のみならず,労働力の節約をもたらした著名なノーフォーク式農法への動きがあった。このような当時のイギリス資本主義農業の動きを理論づけ,ノーフォーク式農法を積極的に推奨したのは,タルにつぐA.ヤング(1741‐1820)であった。 やや遅れて,先進地イギリスのノーフォーク式農法をとりいれたドイツでは,A.D.テーア(1752‐1828)が,《合理的農業の原理》を著し,〈農業を対象とする学問分野は,生産技術と経営の2分野があるが,終局的には多収をあげて最大利潤を得ることを目的とする〉と述べた。…

【農書】より

…やがて18世紀になると,今度は,耕地における根菜飼料(カブ)の栽培がイギリスで開始され,農村社会の変革をともない農業生産力が急速に発達する(農業革命)。これにともないA.ヤングをはじめ多くの農学者が農業革命のための農書を刊行する。近代農学の成立であり,このような動向はやがてフランス,ドイツ,アメリカにおいても進展した。…

【モルモン教】より

…スミスが発見したとされるアメリカ大陸の古代住民に神から与えられた《モルモン経》を旧新約聖書とならぶ経典として重要視し,シオン(神の国)がアメリカ大陸に樹立されることを信じる。ニューヨーク州で始まったが迫害を受けてオハイオ,ミズーリ,イリノイなどを経て,47年ついに安住地ユタに入り,ソルト・レーク・シティを中心に,殺されたスミスの後継者B.ヤングの指導のもとに独特な共同体を建設した。とくにその多妻結婚制度で有名であるが,90年に連邦政府の勧めによりこの制度は廃止された。…

【エネルギー】より

…なお,83年N.L.S.カルノーは“活力”の保存という概念をすでに暗示しているが,彼の業績は19世紀半ばまで一般には知られなかった。 エネルギーという言葉は,ギリシア語energeia(接頭語en=内部に+ergon=仕事)に由来し,〈物体内部に蓄えられた仕事をする能力〉という意味で,T.ヤングがそれまでの“活力”に代わるものとして用いた(1807)が,1850年代初期にW.J.M.ランキンやW.トムソン(ケルビン)らがこの語を意図的に再使用し始めるまでは一般には使われなかった(英語ではforce,ドイツ語ではKraftなどがそれに当てられていた)。“仕事”を現在の意味(力×移動距離)に定義し,活力の代りに運動エネルギーT=1/2mv2を用いて,その変化高⊿Tと物体に働く力のする仕事Wの関係を⊿TWの形に与えたのは,G.G.コリオリである(1829)。…

【干渉】より

…また回折も散乱波の干渉によって起こる現象である。
[光の干渉]
 19世紀の初頭,T.ヤングは,この波の干渉とまったく同様な現象が光の場合にも存在することを発見した。ヤングの行った実験(ヤングの干渉実験)は,次のようなものである(図)。…

【光学】より

…ニュートンとフック,ホイヘンスのあいだには激しい論争がくりひろげられたが,ニュートンの粒子説は,すでにイギリスにおける科学者を代表するようになっていた彼の権威にあずかって,18世紀を支配することになる。 この光の粒子説に疑問を投げかけたのはT.ヤングであり,彼は1800年に,〈ニュートンリング〉や薄膜による光の干渉は波動説によってのみ説明できることを示した。この波動説はフレネルらによって整備され,複屈折や偏光なども光を横波とすることによって説明できることがわかった。…

【光】より

… 波動説が復活を遂げるのは19世紀に入ってからである。まず,19世紀の早々,T.ヤングは二つのスリットを用いた実験によって,光が干渉することを示し,光が波動であることを主張した。ヤングの考えはすぐには受け入れられなかったものの,やがてA.J.フレネルはヤングの干渉実験をホイヘンスの原理と結びつけて,回折は波面上のすべての点から出る波動の干渉によって生ずるものとし,この考えを推し進めることによって,波動説の基礎を確立した(1818)。…

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