ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ヤング」の解説
ヤング
Young, Cy
[没]1955.11.4. オハイオ,ニューカマーズタウン
アメリカ合衆国のプロ野球選手。本名 Denton True Young。大リーグで歴代最多勝利の記録をもつ偉大な右腕投手。通算成績にはいくつかの説があるが,勝利数は 509または 511,敗戦数は 313,315または 316といわれる。20勝以上を上げたシーズンは 16回(1891~1904年は 14シーズン連続)に上り,うち 5回は 30勝以上を記録。ほかにも先発回数 816(または 818),完投数 750(または 751),投球回数 7356イニング(または 7377)などの記録を残した。身長 188cm,体重 95kgの恵まれた体格をいかし,1890~1911年の 22年間にわたって大リーグで活躍。1890~98年クリーブランド・スパイダーズ,1899~1901年セントルイス・カーディナルズ,1901~08年ボストン・レッドソックス,1909~11年クリーブランド・インディアンズ,1911年ボストン・ブレーブズにそれぞれ所属した。1897年と 1908年に無安打無得点を達成。レッドソックス在籍中の 1904年には,フィラデルフィア・アスレティックスを相手に完全試合を成し遂げた。1937年に野球殿堂入り。1956年にはその功績をたたえ,各シーズンの最優秀投手(1967年以降は各リーグ 1人ずつ)に贈られるサイ・ヤング賞が創設された。
ヤング
Young, Michael W.
アメリカ合衆国の遺伝学者。フルネーム Michael Warren Young。1971年テキサス大学オースティン校で生物学の学士号,1975年遺伝学の博士号をそれぞれ取得。1975~77年スタンフォード大学で博士研究員を務め,ロックフェラー大学に助教として勤務,1988年教授。1984年キイロショウジョウバエの生物時計を制御する時計遺伝子 periodの特定に成功,periodがつくる蛋白質 PERが夜に細胞内に蓄積され,日中に分解することをつきとめた。ほぼ同時にブランダイス大学のジェフリー・C.ホールとマイケル・ロスバッシュのグループも periodの特定に成功した。1995年には別の時計遺伝子 timelessを発見,timelessがつくる蛋白質 TIMが periodがつくる蛋白質 PERと結合し,時計遺伝子の転写を抑制することで,約 24時間周期のリズム(概日リズム)を生む「転写翻訳ネガティブフィードバックループ」の仕組みを明らかにした。2017年「概日リズムを制御する分子メカニズムの発見」によりホール,ロスバッシュとともにノーベル生理学・医学賞(→ノーベル賞)を受賞。2009年グルーバー賞(ホール,ロスバッシュと共同受賞),2012年ガードナー国際賞(同)など受賞。2007年全米科学アカデミー会員。
ヤング
Young, Thomas
[没]1829.5.10. ロンドン
イギリスの医師,物理学者,考古学者。ロンドン大学,エディンバラ大学で古典語,古代東方語,数学,自然科学を学んだのち医学に転じた。1793年ロンドンの聖バーソロミュー病院の学生時代,見ようとする物に応じて眼球を調節するための筋肉があることを解剖学的に確認し,この業績によって翌 1794年,王立内科医師会の会員に推薦された。1796年ドイツのゲッティンゲン大学に入り,医学とドイツ文学を修め,1799~1814年ロンドンで開業した。1801~03年王立科学研究所自然哲学教授。1802~29年ロイヤル・ソサエティの外務問題幹事。物理学の分野では,「エネルギー」という語に科学的な意味を与え,光の干渉の原理を発見し,光の波動説をオーギュスタン=ジャン・フレネルに先立って主張,弾性率(→弾性係数)の一つにヤング率を導入してその名を残している(→ヤングの干渉実験)。眼球の生理については,1801年に乱視の原因を指摘したほか,色覚の三色説の原説を立てた。エジプト学者としても優れ,パピルスやロゼッタ石の象形文字解読に最初に成功した一人。
ヤング
Young, John W.
[没]2018.1.5. テキサス,ヒューストン
アメリカ合衆国の宇宙飛行士。フルネーム John Watts Young。ジョージア工科大学卒業後,海軍に入り,テストパイロットとなる。1962年第2期宇宙飛行士の一人に選ばれ,1965年3月『ジェミニ』3号でバージル・I.グリソム(ガス・グリソム)とともに地球を 3周した。1966年7月の『ジェミニ』10号では,マイケル・コリンズとともに,『アジェナ』衛星と初のドッキングを行ない,地球を 43周して帰還した。1969年5月には,トーマス・P.スタッフォード,ユージン・A.サーナンとともに『アポロ』10号で月に向かい,月軌道上で月着陸船との切り離しおよびドッキングに成功。次いで 1972年4月20日,人類 5度目の月着陸に成功した『アポロ』16号では,トーマス・K.マッティングリー,チャールズ・M.デューク両飛行士とともに船長として乗り組み,みずから月面に降り立ち,月面車で 3度にわたる調査活動を行ない,岩石など月の資料 95kg余を入手して帰還した。(→ジェミニ計画,アポロ計画)
ヤング
Young, Edward
[没]1765.4.5. ウェリン
イギリスの詩人。オックスフォード大学に学び,聖職についた。機知にあふれた風刺詩『普遍的情熱,すなわち名声の愛』The Universal Passion; The Love of Fame(1725~28)は発表当時大いに称賛されたが,今日ヤングの名声は『生,死,永生に関する夜想詩』The Complaint: or, Night Thoughts(1742~45)にかかっている。これは妻の死を契機に書かれた 9巻 1万行の無韻詩からなる教訓詩で,人生の流転,死,霊魂の不滅などに関する瞑想をうたい,墓畔派流行のきっかけとなった。また,重要な『独創論』Conjectures on Original Composition(1759)は芸術的天才の本質を論じたもの。
ヤング
Young, Kimball
[没]1973
アメリカの社会心理学者。シカゴ大学で修士,スタンフォード大学で博士の学位を取り,ウィスコンシン大学教授,クイーン・カレッジ教授を経て,ノースウェスタン大学の社会学部部長に就任。幅広い社会学の体系化に努め,パーソナリティ,集団 (相互作用) ,文化の全体をとらえるのが社会学であるとした。また現代の大衆社会における大衆行動に関心を向け,その社会心理学的分析を試みている。主著『社会心理学』 Social Psychology (1930,改訂版,56) ,『パーソナリティと適応の問題』 Personality and Problems of Adjustment (40) ,『社会心理学ハンドブック』 Handbook of Social Psychology (46,改訂版,54) 。
ヤング
Young, Robert
[没]1700
イギリスの詐欺師。アイルランド生まれ。1680年頃証明書を偽造して聖職者になったが,ほどなく重婚罪で入獄。出獄後,カンタベリー大主教ウィリアム・サンクロフトの筆跡をまねて金持ちの聖職者に手紙を書き,大金をだまし取ったが,1690年発覚してニューゲート刑務所に投獄された。獄中でジェームズ2世復位の陰謀を捏造し,出獄後,マールバラ公,ハイド家のコーンベリー子爵,サンクロフト,ロチェスター主教トマス・スプラットらの署名を偽造した陰謀文書をつくって当局に通報した。そのためマールバラらは一時投獄や拘禁を受けたが,捏造が判明してヤングはまたも入獄。1698年脱獄し,にせ金つくりにかかわって逮捕,処刑された。
ヤング
Young, Lester Willis
[没]1959.3.15. ニューヨーク
アメリカのジャズ・テナーサックス奏者。黒人音楽家の子として,10歳からファミリーバンドのドラムを受持ち,ニューオーリンズ地方を巡業,13歳のときサクソフォーンに転向。5年後に独立し,キング・オリバー楽団などに加わり,カンザスシティーで名声を博した。 1935~44年はカウント・ベーシー楽団に参加,スター奏者となった。劇的な間 (ま) を取る弾力のある技巧的な演奏で知られ,聴覚音楽としてのジャズに変革をもたらし,後代のジャズ・サクソフォーン奏者に影響を与えた。
ヤング
Young, Pauline Vislick
[没]1977.1.27. カリフォルニア,モデスト
ポーランド生れのアメリカの社会学者。 R.E.パークの影響を受け,都市の事例研究に従事し,のちに社会調査の専門家と目されるにいたった。事例研究における面接やデータ収集に関する方法論が高く評価されている。また,非行,犯罪,労働問題,失業問題,移民などに関してすぐれた調査研究を発表している。主著"Social Treatment in Probation and Delinquency" (1937) ,"Scientific Social Surveys and Research" (39) 。
ヤング
Young, Stark
[没]1963.1.6. ニューヨーク
アメリカの劇評家。テキサス大学その他で教鞭をとったのち,『シアター・アーツ』 (1921~40) ,『ニュー・リパブリック』 (22~47) ,『ニューヨーク・タイムズ』 (24~25) などで劇評を担当。『三人姉妹』などチェーホフの戯曲の翻訳家としても有名。主著は劇評集『不滅の影』 Immortal Shadows (1948) ,『演劇論』 The Theatre (54) 。
ヤング
Young, Brigham
[没]1877.8.29. ソルトレークシティー
アメリカのモルモン教会指導者。 1832年モルモン教に改宗し,35年その十二使徒の一人に選ばれ,創始者 J.スミスの死後指導者となった。ソルトレークシティーを基盤に布教活動を行い,ユタ州に独立国家を建て,連邦政府と対立したが (1849) ,武力による圧迫に屈し,以後教会の仕事に専念。多妻主義者で,12人の妻をもった。
ヤング
Young, Francis Brett
[没]1954.3.28. ケープタウン
イギリスの小説家,詩人。極東で船医をつとめ,第1次世界大戦中は軍医として東アフリカに従軍。主要作品は『クレアの肖像』 Portrait of Claire (1927) ,南アフリカを舞台にした『黄金の町』 The City of Gold (39) ,イギリス史を概観した長詩『島』 The Island (44) など。
ヤング
Young, Andrew
[没]1971.11.25.
イギリスの詩人。野草の研究家。エディンバラ大学に学ぶ。『夜の歌』 Songs of Night (1910) が処女詩集。自然詩人として認められ,自然抒情詩を集めた『全詩集』 Collected Poems (60) のほか,長詩『死後の世界』 Into Hades (52) などがある。
ヤング
Young, Arthur
[没]1820.4.20. ロンドン
イギリスの農学者,農業革命の推進者。内外の農業状態の観察と記録を体系的にまとめて著作を発表。農業経営を研究,農業技術の改善と大農経営の普及に努めた。 1784~1809年『農業年報』 Annals of Agricultureを編集,発行した。
ヤング
Young
ヤング
Yonge, Charlotte Mary
[没]1901
イギリスの女流作家。キーブルの影響を受け,オックスフォード運動の普及に努めた。出世作『レドクリフの相続人』 The Heir of Redclyffe (1853) をはじめ 160冊をこえる著作がある。
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